より良い世界のヴィジョン(その2)

豊かさは創造性に必要。ビジネスでは、経理的な資本で豊かさを測る。十分な資本が無ければ、創造的になれない。なぜなら、事が進むか定かでないことに挑戦できないから。同様に、私たちも余剰資本が要る。資本とは、食物、空きスペース、奇麗な空気、水のことで、全ての人々が豊かで創造的に暮らすようにしたいなら必要。

  この世では2つの変数が豊かさに影響する。まずひとつは、供給。私たちは地球の天然資源に依存しており、資源には限りがある。2つ目の変数は需要。私たちがコントロールできる需要のこと。

  2つの基礎変数がまた、資源の需要に影響する。使用効率は、世界の自然の恩恵を個々人がどれほど必要とするかを決める。私たちはある程度は効率を向上できる。需要に影響する2つめの変数は人口。どれだけ効率を上げても、地球が支えられる人々の数には結局限りがある。

  このような制限を認めると、自分自身気づいたのだが、なぜ、私たちは人口増加が不可避だと常に話しているのだろうか?代わりに理想の人口を思い描いてはどうだろうか?

  私の未来像では、最初からこの世の生物群系の20%は横に置く。現在の人口約71億人より20%少ない人口私の思う理想としておく。みんなでおよそ57億人となり、1990年代初期の人口だ。

  何なんだと?理想化する一方で、自然にもう少したくさん空間を分け与えたり、全人口50億人(1988年時点)まで30%戻ったりしてはどうか?衝撃的だろうか?以前の大統領ジョージ・HW・ブッシュが当選した時は人口が30%少なかったのだ。

  このような提案を話すと、誰を殺すのだと賢い人がいつも尋ねる。提案を書けば、自分の子供たちの内のどの子を手放すべきか尋ねる人たちから手紙をもらう。回答は、もちろん、ゼロだ。しかし、もし、私たちの多くが一度だけ自分たちを再生産するなら ― 夫婦で2人の子供なら ― トータルの人口はすぐに減少し始める。単純に、種属として、次のことに同意すればよい。1) 両親と子供2人で素晴らしい家族になる。2) 束縛されていない自然は、私たちの人生の質に不可欠。3) スラムの醜さや深刻な貧困を無くせば、みんなの暮らしが良くなる。

ただ考えよう: 50億人の人々の世界に野生の象やマウンテンゴリラが暮らせる。魚でいっぱいの海があり、豊かな草地にバイソンや獣が自由に歩き回る、永遠に。清浄な水をどんな幼児にも行き渡らせ、新たに母になった人々には食事を、年輩者全員に暖かく心地よい寝床を ― いつでも。

やりましょうよ。

  このような豊かさの理解で心を決めれば、取り返しのつかない種属の破滅の潮流を止められる。この地球上の多様な生命を愛でることができ、世界中の人々相互の同意で、これを維持する基準を設けることができる。食物は全て、違うものをあえて得ようとしない限り、自然で健康に良く栄養豊富になる。農場でも都市でも望む場所に住める。山の野生の麓や海岸に住める。好んで簡素に暮らしてほんの少し働く人たちもいるだろうが、全員のために最低限の財産を定められる。私たちの多くは何かを成し遂げようと懸命に働くことだろう ― 新発見、発明、芸術作品、大きな個人の富のために。

  安定した人口下では、企業の成功は、低価格で大量にという基準以外のモノサシで測られるだろう。数量という価値は減り、質という価値が向上するだろう。美しさ、豊かさ、自然保護という共有価値を支援する企業や製品が稼げるだろう。品質は、ある意味では、企業や製品がどれだけこういった価値を支持するかどうかで定義されるだろう。革新的で、意識の高い企業が成功するだろう。あまり革新的でない企業は厳しい試練となるだろう。私たちの持てる物は美しく永続性があるものになるだろう。

  人口が安定すると、領土争いは無意味になるだろう。使える土地、エネルギー、食料が毎年多くなると、すぐに紛争は今までに無く浪費ばかりでバカなことに思えるだろう。軍隊のほとんどを解体できる。速いジェット機や強力な爆弾で競うよりもむしろ、誰がより自然な美を保全し旅行者を魅了できるかで競争することだろう。誰が一番美しい本を出版できるか?誰が一番信頼できて優美な機械を作れるか?誰のスキー術が一番か?誰のビーチが最高か?

キレイな空気や水は必須で、保持すべき限りある資源だと、私たちが同意できると信じるのは非現実的だろうか?子供数人でそれ以上望まないのはそんなに変なことだろうか?美と豊かさの世界を想像し ― 創造すれば良いのでは?

  それが、私の目指すところ。

 

より良い世界のヴィジョン(その1)


A Vision for a Better World, Part 2

9/16/2013 5:01:00 PM

By Bryan Welch