みんなを関わらせる

マザーアースニューズ 環境 砂防ダム

イデオロギーが合わない時、健全な土地と食物という共通の望みが私たちをつなげる。

 

文:ゲイリー・ポール・ナブハン (Gary Paul Nabhan)

翻訳:広松 佳苗

 

 今日の北米では抑えの効かない対立を経験しています。ええ、私たちは常に文化的な違いを持ち、そうした違いは社会的かつ政治的に対立する流れと定期的な紛争に帰結することを避けられませんでした。しかしそれは私たちが、こう着状態によって私たちの善意の実現が妨げられる戦場に生きる運命にあることを意味するのではありません。

 私が特に懸念しているのはジェームス・ジンペル (James Gimpel) が呼ぶ「大きく開いた峡谷のような大きさの都市と農村の溝」の両側からの明らかな怒りです。この都市と農村の格差は、州と国の選挙の両方のあり方を変えて、天然資源と社会サービスの享受を管理する人を決める「私たち対彼ら」の戦いにしています。アメリカ人は互いに活動するというよりも互いに戦争しているように見えます。

 すべての階級、人種、民族の個人は彼らのなじみの愛してきた土地、野生生物、植物についてのトップダウンの意思決定が蔓延したことでますます力を失っていると感じています。多くの場合、彼らは政策決定過程から権利を奪われるようになっており、その過程では彼らの地元の知識を無視し、文化的または信仰に基づく価値を退け、彼らの生活への影響を無視します。私が過去 10 年間で田舎のコミュニティを訪れた際はいつでも、環境的な意思決定がますます、彼らのコミュニティが関与しているかどうかをほとんど気に掛けていないように思われる自作自演の専門家の連合によって行われるようになったという怒り心頭の不満を耳にしました。人々の故郷に対する愛と故郷をどうしていくか決める力がないという幻滅の間に、紛糾する断絶を感じることができました。

 しかしまだ、失敗、絶望、そして権利を奪われているという感覚だけでは全体像を示していません。環境と食糧安全保障に対する環境の関連性についてのアメリカ人の懸念は史上最高に近づいています。アメリカ人のほとんどは引き続き保護と修復の進展を目にしたいと考えていますが、コミュニティの真の関与に根差した、全く異なるパラダイムを通してです。アメリカ人は環境が修復に値するのかについては意見が分かれていません。私たちを分断させるのはこの活動がどのように行われるのか、誰が行うのか、そしてどれだけの予算をかけるべきなのかを決めるのは誰かということです。

 このパラダイムシフトに私たちの多くが欠かさず参加することを妨げるハードルがあります。私たちは考え(そして投票先)が必ずしも私たち自身ものと一致しない他者の極端に批判的な見解に依存しています。アリゾナの牧場主であるビル・マクドナルド (Bill McDonald) が 1990 年代半ばに「革新的中道主義」と呼び始めた新しいものを生む妥協点に向かって一歩踏み出さなければなりません。

 革新的中道主義におけるスタンスはどちら側につくのか選べない人々によるある種の煮え切らない妥協ではありません。考えが定まらないわけではなく、多様な考えを受け入れる強みがあるのです。これは熱心に耳を傾け自分以外の声を考慮に入れる自制心のある立場です。

 私たちを悩ませてきた分断を癒す最良の方法の 1 つは手を取り合って土地を癒すことです。ほとんどの物事と同様に、私たちの大陸の食糧生産能力を修復する行動は言葉よりも雄弁です。ですから、共同的な保全が現場でどのようなものなのか見てみましょう。

 

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