苔好きアニー(Mossin’ Annie)

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植物界で最も無名なグループのひとつを救うことは、南部アパラチアの民衆の英雄の精神を駆り立てる。

文:トム・オーダー(Tom Oder)

翻訳校正:沓名 輝政

 

 「転がる石には苔が生えぬ」ということわざを作った古代のラテン系の作家は、アニー・マーティンのような人に会ったことがないに違いない。マーティンは、人生の情熱に向けて走り続ける精力家で、ノースカロライナ州のアパラチア山脈で、機会あるごとに許可を得て苔を採取しています。

 そのような機会が訪れるのは、彼女が「そうしないと苔がダメになってしまうから、私の精神を駆り立てる」と言う救出の時です。彼女の救出現場は、典型的な観光地から危険な場所、奇想天外な場所まで多岐にわたります。国有林の保護官から駐車場ができると電話があり、「まず苔を採取しますか?」と聞かれたことがあります(「はい! ありがとうございます!」と彼女)。彼女がアスファルトから苔を剥がす脇を車が通り過ぎて行くと、彼女は文字通り埃まみれに(「これは、多くの人にとっては、精神的に活力が湧くようなことではないでしょうが、私にとってはそうでした!」と彼女) 。また「すみませんが、お宅の屋根に登って苔を集めてもいいですか」と家の人に尋ねたことも何度もあります(「そう質問できる厚かましさがある私!」と彼女) 。

 苔の専門家であるアニーは、南部原産の植物愛好家にとってヒーローであり、植物界で最もありふれた分野である苔について独学で学んだ人物です。小学校以上の科学的教育を受けたことのない彼女は、2008年にメディア制作の仕事を辞め、蘚苔類(地球最古の、そしておそらく最も無名の陸上植物群)への子供の頃の憧れを、職業とビジネス(Mountain Moss Enterprises)に変えるという困難な目標に向かいました。ノースカロライナ州ブレバードのダウンタウンにある苔園で、米国農務省および米国森林局のすべての規制と、厳格な倫理観(彼女は保護林や公園から苔を採取することを断固として拒否する)を守りながら、マーティンは植物採集と流通のライセンスを持っています。苔の栽培に関する長年の研究と、園芸の実地体験を通じて、苔について独学で学びました。苔の芸術的用途と生態系への恩恵について理解を深めようとする否定しようのない意志を持ち、彼女は苔園芸家、救助者、教育者、著者として高く評価され、人々が探し求める苔景観アーティストでコンサルタントになっています。

 

苔に呼ばれて

 ノースカロライナ州アシュビルでレイチェル・アン・マーティンとして生まれたアニーが、苔好きアニーになるまでの物語は、彼女が子供の頃、日曜日の午後に家族でピクニックに出かけたピスガー国立森林公園のブルーリッジパークウェイの脇にあるピンクベッドで始まります。多くの人は、その名の由来となったピンク色の花、マウンテンローレル(アメリカシャクナゲ)やツツジ属を楽しむためにそこに行くのですが、マーティンは、そこの苔に目をつけました。

 「でも、当時は他の人と同じでした。『ただの苔だ』と思っていたんです」と彼女の苔の事始めを語ります。彼女がほどなく考えを変えたのは、ペットのカメレオン、オスカーのおかげです。「カメレオンのテラリウムに苔を敷いてあげたら、いい感じになるんじゃないかと思い、小さな家に使ってみたんです」。これは1960年代、彼女が10歳のときのこと。オスカーのテラリウムがきっかけで、苔のテラリウムが生まれ、森の流木を集めて苔のアートにするようになったのです。

 苔との運命が定りました。しかし、運命は回り道をさせます。ノースカロライナ大学シャーロット校と、ノースカロライナ州ブーンにあるアパラチアン州立大学の大学院に進み、20年以上にわたってメディアの制作と演出に携わり、ジョージア州アトランタのエモリー大学では制作・プレゼンテーション部門の責任者を務めました。エモリー大学から退職後、彼女は山に戻り、ブレバード大学でメディアを制作し、その後プリントショップで働きました。彼女は「原点」にありながら、何かが足りない。苔です。それが「これだ!」という瞬間につながったのです。。。

 

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