お手伝いと子供たち

子供の成長を助け、自立精神を学ぶことのできる責任ある仕事を与えよう

 

 

ジョエルの孫には、みんな自分のビジネスがある。ローリン9才は、自分の外来種の鶏の世話をする。Photo by Shutteye Photography.

 

文:ジョエル・サラティン (Joel Salatin)

翻訳:浅野 綾子

 

 

「うちの子供たちはぶらぶらしていて、やらなきゃいけない農園の仕事をやりたがらないんです。どうやったらやらせることができますか?」こんな親御さんの目に見て取れる切実な思い。自分の子供たちに、勤労精神と自立を大切にする心、継続する力を身につけて欲しいという願いです。

 気分転換と娯楽は、牛の乳搾りと人参の草取り(実際、セラピー効果があるとわかります)という大人にとって、こうした楽しみを子供が嫌がることで、欲求不満や緊張関係、論争を招いてしまうことが多くあります。この問題、成功する保証をしてもらえるなら、アメリカ中を講演に回るファミリー向けフルタイム講師にきっと私はなるはず。専門家ではありませんが、現在4世代が住まい、働き、互いを思いやり、そして喧嘩もする農園から私が恩恵を受けていることは間違いのない事実です。どうしたら子供が農場の手伝いをするようになるかについてのアドバイス、自分自身の経験から、力いっぱいお話しさせて下さい。

 生き生きと目立つ子供として、私をお手伝いと重労働が大好きにさせた3つのこと。1つ目は、私が10才の時、両親が私に鶏ビジネスを始めさせてくれて、応援してくれたことです。「自分のビジネス」というのは、完全に自分だけがビジネスオーナーになるということでした。友人が農園に来て鶏について尋ねると、父と母は私に譲ってくれました。鶏回りの作業について誰かに説明している姿を、父についても母についても思い出すことができません。父母は私を見つけに来ては、鶏の仕事を説明する晴れの舞台を私にくれました。日々の作業?上手く行くのも行かないのも、自分の腕にかかっていたんですよ。もちろん、外敵が来て滅茶苦茶にされた時は、両親は私を慰めてくれた。でも、寝過ごしたり、世話をしなかったりしても、代わりにやってはくれませんでした。スケジュールについていけるよう、私は精を出さなければならなかったんです。自分の生活を手伝いに合わせなければなりませんでした。

 自分がオーナーになるという経験は、私に責任について教えてくれました。仕事をさぼり、その日の産物を手にすることができなければ、自分に返って来ました。お小遣いをもらったことは一度もありませんでした。というのも、私が使おうとするお金は全部鶏の世話から来たのです。利益を出すことがどれだけ大切で難しいかを学びました。父と母は、私の監督者ではありましたが、お小遣いは自分で必死にかき集めなければなりませんでした。私たち親は、自分の子供がどれだけできるのか、どの位小さい時からできるのか、気付いていないことがほとんどだと思います。

 自立心を学んで仕事を始めるのに理想的な年齢は8才から10才の間にあるとの信念があります。待ち過ぎれば、他に興味のあることが、企業家になる絶好の機会を押しのけてしまうでしょう。「カッコ悪い」ものになってしまうのです。4Hクラブ [農村青少年の組織。農業教育の需要が高まる中1890年代から1900年代初頭にアメリカで開始。] や教会の子供・青年会のような若者のリーダーシップを育てる組織では、子供時代の興味が薄れるに従い、参加が減ることがわかっています。

 鶏は自分の仕事だったので、世話をし、卵を売り、餌を注文し、小屋を綺麗にしなければなりませんでした。私がやらなかったら、そのままになってしまった。それに、誰も私にとやかく言いませんでした。「でも、お手伝いをするよう毎日子供に言って聞かせる必要があるんです」、親御さんは嘆きます。それなら、小さなビジネスとして子供に任せてみましょう。子供がビジネスをしたくないなら、そのまま終わりにしてしまいましょう。もしくは、子供に世話係として報酬を払うのです。ちゃりんちゃりんするお金の音ほど、小さな子供をやる気にさせるものはほとんどありません。小さなビジネスを始めることについての責任と報酬をはっきりさせましょう(子供たちに責任と報酬が見合っているとはどういうことか判断する手伝いをして、主体性を持たせてあげましょう)。そうしたら、後はお任せです。子供たちは、はりきって働くか、やる気がなくなるかのどちらか。オーナーになって見合った報酬をもらうことがモチベーションにならないのなら、小言を言っても効果はないでしょう。

 ひときわ記憶に残る2つ目は、父の頭と心が農園のことで一杯になっていることを、私は子供ながらによくわかっていたということです。農園が父にとって嫌な仕事であったことは一度もありませんでした。朝早く起きたり、仕事を片付けてしまうため遅くまで起きていることに、父が不満を漏らしたことは一度も無かった。その上、農園は、私たちが休みを過ごす場所でもあり、聖なる務めを与えてもくれました。森へピクニックに出かけ、トラクターを止めて美しい夕日をうっとりと眺めました。私たちは、農園を讃えていたわけです。

 どれだけ多くの人が農場体験に大金を使っているか知っていますか? アグリツーリズムは、何千もの農場の屋代骨になり、もしくはその収入を補っています。五臓六腑に染み渡る農場生活の肌触りに飢える都会住まいの人たちは、私たち自営農園主がしなければならないことを毎日無償でしながら2、3日を過ごすのに、何千ドルものお金を落としていくのです。卵を集め、乳を搾り、人参の種を蒔き、アップルソースのビン詰めをして。私たちにとっては仕事でも、都会の人たちにとっては最高にイケてることなのです。

 生産から加工へという農場経営についての両親の関心事は、毎日をドラマと発見の劇場へと仕立てました。子育て本に「親の背を見て子は育つ」とよく書いてありますが、まさにそのケースでした。新しいやり方や生態学の発見に対する父の情熱は人もその気にさせました。母は何でも手作りし、地下室に並べたビン詰めは、私たちの命を養いました。バレーを習うことも、リトルリーグに参加することもなく、買い食いもしませんでした。そのどれか1つでも良く思っていなかったからではなく、田舎に住んでいたから田舎暮らしを楽しんだまでのこと。町に住んでいるかのような田舎暮らしはしなかったのです。そんなことは全くできませんでしたし、だからやろうともしませんでした。

 田舎住まいの家族が、毎日アスファルトが剥がれる位に車を走らせてこのイベントへあのイベントへと向かうのを目にします。いいですか、農場は十分すぎるほどの楽しみと、もの凄い発見の場所なのです。どんな子供の心も満たしてしまう。ザリガニがいっぱいの小川にダムを作る。池で釣り。子羊とお昼寝。枝からもぎたての瑞々しいトマトを口に含む。数々のこうしたことや、農場回りの環境で十分なのです。大抵、親が何かに熱心だと、子供もそのことに熱心になるものです。

 私の自立精神を促した3つ目は、未熟で不器用な私の大工仕事を父が温かい目で見てくれたことでした。父は高校の時から第2次世界大戦になるまでの間、自動車メーカーで鋳型製作の職人として働いていました。父は自分で使うのみも作りました。カイパス、丸のみ、スクライバーが入った父お手製の木の道具箱は、農園の聖域も同然です。私たちは触れもしない - 近寄りがたいほどの神聖さなのです。父は何でも作れました。家具でさえも。真の名匠だったのです。

 私?全く違います。確かに、たくさんのものを作っていますが、出来は良くありません。でも、子供の頃、直角になりきらない87度の角度、曲がった門、間に合わせの大工仕事の数々を父がけなしたという記憶は1つもありません。父は応援してくれ、褒めてもくれました。大人になるまで、それがどれだけ難しいか気づきませんでした。

 37年間連れ添った妻のテレサに、いつか君に家を建ててあげたいといつも話しますが、そう言ってから決まってこう軽口を叩くのです。「でも君はそこに住みたがらないだろうな」柱の曲がった小さな家に住む、腰の曲がった小さなおじいちゃん。あの童謡みたいな感じです [アメリカ・イギリスの伝承童謡の1つに「There was a crooked man (仮題:曲がった男)」という歌がある]。私の平均以下の腕前を目にしても褒めることができる父の才能は、私に大工仕事を続けさせて一人で何とか作り上げる力をつけさせてくれました。曲がった釘や雑な出来に、父がいつも文句をつけていたら、絶対に大工仕事を続けることはなかったでしょう。「出来が良くない」からといって、子供のやる気をそぐようなことはしないで下さい。もちろん、子供のやることは完璧ではありません。でも、あなたの初めての仕事だってきっとそうだったはず。

 私の育った環境は、農場への愛と飽くなき探究心を私の魂に植えつけました。このことは一生感謝し続けるでしょう。私の子供たちが成長する時ですが、ダニエルはうさぎのビジネスを8才で始めました。28年経ってもその関心は薄れることはありません。レイチェルはパンと手工芸ビジネスを6才の時に始めました。二人とも20才を迎えた時には、銀行口座に2万ドルの預金 - 全て自分たちで稼いだものでした。

 今、孫は全員自分たちの小さなビジネスのオーナーです。13才のトラビスは、アヒルの卵のビジネスを10才で始めました。11才のアンドリューは、9才の時に羊のビジネス。ローリン9才は、8才の時に外来種の鶏ビジネスを始めました。誰かが孫の動物を見たがったら、私が見せびらかしたりはしません。ステージを独占すべき(私は幕裏からビーム光線を送ります)孫を見つけて来ます。どうなっていると思いますか?野球のゲームで、孫がじいちゃんばあちゃんにアイスをご馳走するんですよ。なかなかのものでしょう?

 子供のお手伝い改革の最後のアイデア。時間単位の仕事をあげないようにしましょう。仕事単位にするのです。「30分豆を収穫して」とあなたが言ったとして、やる気が起きるでしょうか? 「ピアノを30分練習しなさい」と言ったとして、上達しようと思うでしょうか?全ての仕事の始めと終わりは何か、時間とは関係なく、はっきりさせることを考えましょう。仕事をやり終えたご褒美として、適切な報酬をあげることもできます。このようにすることで、効率を上げることとやり終えることの動機付けをすることになるのです。時間制限だけをつける時、怠けることとやる気のない仕事習慣を教えることになってしまうのです。

 農業は劇場であり、天職であり、発見です。あなたの言葉遣いを、文句と不満ではなく、もっと「できるよ」という熱い響きにどうやったら変えられるか、アイデアをどんどん出しましょう。子供のお手伝いのオーナーシップとやる気を引き出す方法をもう一度考え直して、責任が生まれるようにし、成果が得られるようにしてみましょう。成功の保証はできませんが、それがなければ効果は上がりません。1つ屋根の下に4世代で暮らす恩恵を受けた者として、やりたいこととやって欲しいことを一致させることは、世にあるどんなマニュアルにも勝ることを私は知っています。結局のところ、美しい庭を持とうが、健康な牛を飼おうが、家庭が緊張と欲求不満がつのる場所なら、意味がないのです。ここに挙げたアイデアが、あなたが子供にチーム意識を目覚めさせる助けとなりますように。

 

たのしい暮らしをつくる

マザーアースニューズ

購読登録はこちらからどうぞ

 

Transform Children’s Chores into Small Businesses

By Joel Salatin|  August/September 2017