熊手の教え:役立ち癒しになる新スタイルの食料システム 

  何かを「昔ながらの」と名づけると、旅行者や古物商の気は引くかもしれないが、私たちの主流文化では感情的にも理性的にも関心をひかない。

 あまりにも頻繁に、地球を管理する活動そのものが、過ぎ去った時代(電気も石油もない古きよき時代)への回帰のひとつとして位置づけられる。洗濯板やフープスカート(張り輪を入れてふくらませたスカート)、家庭料理にはロマンチックな魅力があるかもしれないが、そういう生活は、問題解決を求める現代人の想像力を刺激することはない。

 より素朴な時代、よりのんびりしたライフスタイルに憧れる人々の大多数でさえ、本当に電気や自動車なしで暮らしたいわけではない。持続可能な食料システムを産み出そうと努力する私たちには、ファストフード中毒を改められるだけの原動力となるメッセージが必要だ。産業化された食料システムでは、手間ひまをたくさんかけてそのメッセージに磨きをかける。自分でやりなさいの精神や、放牧された家畜、堆肥で肥沃にすることを蔑視しつつ、「テクノロジー」、「革新的な」、「世界を養う」のようなフレーズを普及させる。

 これらのスローガンは感情に訴えるものがある。機知に富んだ人々は、その種の原動力に自らを結びつけるのが好きだ。問題解決、ニーズ充足、出世、これらのフレーズは心と意識を引き付ける。一方、もし印象が活動を絶やすとしたら、冴えない、反テクノロジー、マンネリ化などは、読者の皆さんにとって極力見られたくない印象だ。

 電気や石油より前から存在する、実績ある環境管理の原則に打ち込む私たちにとって、これは扱いにくい論点だ。競馬では、実績ある勝者に賭けるという世界観もある。例えば、炭素主体の土の建物では、化学的「材料」の使用を避ける。では、とても上手く自然を模したこの伝統的な手法を、後進的で非科学的だと思われずに、皆さんはどのように勧めるだろうか。

 

食料と農業を見直そう

 私は、産業界や政府機関が次々と発する反環境的プロパガンダを見ているので、夜は寝床に就いてからも眠らず、私たちのチームに建設的なキャッチフレーズを見つけ出そうとしている。もし、巨大な豚肉会社スミスフィールドの中国向け販売を非難すれば、私は外国人嫌いか子どもじみた保護貿易主義者になる。遺伝子組換え作物 (GMO) を嫌えば、愚か者か反科学派になる。教会で友達に手作りヨーグルトを売る職人を犯罪者扱いする食品安全政策に反対すれば、無政府論者になる。

 持続可能性運動が立ち後れているという社会認識は深く根を下ろしている。マザーアースニューズや他の多くの出版物を生んだ、1970年代初期の大地へ帰れ運動は、「元に戻る」という言葉から始まった。その開拓者魂を持った者の多くが経験した苦闘は、ひどく骨の折れる仕事から、失った財産、叶わなかった夢にまで至る。この苦闘によって、まともに後戻りすることが、本当に私たちの多くが望んだことではないのだという、厳しい現実が証明された。

 では、どのようなメッセージ(つまり語彙)なら効果があるのだろう。それは、あらゆるタイプの人々の心を掴めるほど、影響があり革新的で神聖でなければならない。決められた進路上にいる人たちをどうやって引き止めるのか。彼らは、起きている間中テレビを見て満足し、病気ごとに調合薬を頼り、機能不全に陥ったカーダシアン家が会話の材料を提供し続ける限り、世の中全て上手くいっていると決めてかかる人々だ。それをどうやって中断するのか。

 こちら側が「新しいスタイル」として、自分たちを位置づける必要がある、と思う。私たちは、これまで遺伝子組換え作物(GMO)や化学肥料、集中家畜飼養施設(CAFO)、発音しにくい食品添加物に対し「ノー」と言ってきた。私たちが反対するこれらのことは、古臭くなったし、そう呼ぶべきだ。廃墟と化した建物のように、このアプローチは時代遅れで崩壊している。微生物が適応するよりも速く、私たちが薬を発明し続けられると考えている人は誰も皆、後ろ向きで非科学的な考え方をしている。あるいは、大して考えていない。という点で有罪だ。。。


和訳全文は1月末発行予定。


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A 'New-Fashioned' Food System That Helps and Heals

By Joel Salatin 

December 2014/January 2015