新しい都市農業

都市部の農家は、食物以上の物、変革を育てている。

第1次世界大戦の終戦少し前、ウィンストン・チャーチル (Winston Churchill) が戦争は人の正常な職業であると言った、と反戦詩人で軍人のシーフリード・サッスーン (Siegfried Sassoon) は報告している。反論を受けたチャーチルは、「戦争、そしてガーデニング」その2つは、正反対のものなのか?一部の農業は、熱帯雨林を皆伐する、土地を貧しい人から盗む、周辺を汚染する、農場労動者を搾取する、どれもまるで戦争のよう。さらに現代農薬のいくつかは第1次世界大戦における化学兵器の発明から由来するのだ。しかし、ガーデニングは戦争よりもずっと広い範囲の人的活動を表す。

 それは、戦争のアンチテーゼ、または社会的な病気に対する治療、または世界の分裂を癒やす行為でありえるのか?自分のトマトを世話するとき、トマト以上のものを作っているのか?私たちの時代は、菜園がより良い世界、またはただより良い近所づきあい(またはその2つが1つになる豊かな場所)の望みと夢の前線であり中心である。農場擁護団体と食物活動家、進歩的な農家と菜園家がいて、更に現在特有の都市農業が多く存在する。これらの都市プロジェクトは、食べ物、労働、実体験、土が疎んじられていること:生産と消費、喜びと仕事の不一致:産業農業の破壊力:拡大する世界的な食物不足と種子損失問題に打ち勝とうと望んでいる。理想的な植付、世話、時には収穫に終わりはないが、問題はシンプルだ。どんな作物の世話をしているか?何を育てたいのか?コミュニティ?健康?希望喜び?正義?

菜園は、この瞬間の理想主義と、その主要な落し穴を表していると、私は思う。結局菜園は、世界との戦いへの進行、そこから後退する方法、そのどちらの根拠にもなりえる。また、その違いは必ずしもはっきりしない。

 

目的を持った生産

 第2の緑の革命は、最初の革命の破壊的な面を元に戻す試みであり、有機で個人的な農業を作る。その農業は、精神と心の滋養になる。体と同じく。無形の質も測る。量と同時に。容量においては、この国の食料のわずかな割合しか生産しないが、それは単にボリュームの話ではない。最初の緑の革命は、多くの場合、生産量が増加したかもしれないが、分離と毒性もまた増加させたし、それは化石燃料依存状態、炭素排出、そして他の自然破壊を無視する場合のみ効率的だった。それは、農業の産業革命だ。そして今起こっていることは、明確な脱工業化、大規模農業と企業への疑い、代わりになるものへの興味だ。これは生産プロジェクト以上のもので、再接続プロジェクトだ。それがまた、都市農業でもある理由。私たち全てが食料生産に関われば、食料生産はいたるところ、都会、田舎、の表土が盛られた隙間、車線間の安全地帯で起こるはず。

 今日、主要な都市農業プロジェクトは、バーリントン、フィラデルフィア)、デトロイト、ミルウォーキー、シカゴ、オークランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、その他数10のアメリカ都市にしっかり根付いている。国中で、野菜種子の売上げは急上昇。裏庭で飼う鶏は、新しい標準となり、国中の校庭に菜園が現われた。

 有機農場と農家市場は急増したし、農民の数が落ちるどころか、数10年で初めて上がった。それらは計数できるが、それら全てが生む意識改革と、その意識改革が生むもの両方は、計り知れない。

 私たちは2、30年前よりも、食物についてもっと考え、食物についてもっと知り、食物にもっと気を付けている。食物は、高額所得者のこだわりと貧しい人々の根本的な課題の両方、階級の枠を超えた最も本質的な日常の変化となった(それはまだ私たち全員でないけれども)。都心は、まだ食の砂漠、適切な食物に(または食物さえ)アクセスできない場所だ。

 単なる食料生産の手段という考えでは、都市農業の成果は大きくないかもしれないが、理解、コミュニティ、社会改革、触媒作用を産む手段としては、正反対であるかもしれない。それらが最高の状態である時、都市農場と菜園は世界を変える方法になるのだ。たとえ食物を生産するだけでも、食物は食物だ。そして、現存の農業のモデルと知識だけでも保持しておくことは、後々どこかで私たちの生き残りにとって重要になるかもしれない。食物は、現在、多くの人々が経済、規模、正義、喜び、具現化、仕事、健康そして未来について考える手段だ。菜園がなり得る領域は、より良い別の手段の可能性を主張するためのもので、手段は、暮らして、働いて、食べて、世界とつながるもの。

 都市における養鶏、養蜂、その他の田舎暮らし現象は、都市が現在、食糧生産のすべての面(裏庭の鶏、ヤギから、食物用に飼育した動物の解体まで)を管理するために条例作りに取り組んでいることを意味している。ミネアポリスでは、ビニールハウスが、検討材料に上がった。目障りと考える人もいれば、空き地の役立つ貸借人と見なす人も。危機的状況にあるものの一部が、都市環境を再定義している:私たちは、生産された食物に期待してるだろうか?美しい菜園がある;コンポストもあり、肥料、その他のあまり装飾的でない形相もあり、動物の屠畜場を含んでいる。

 この頃は、驚くほどの数の若い理想主義者が、厳しい仕事を受け入れて地方で有機農場を運営しているが、もはや上記の強い分離の感覚はなく、都市農業は、新たな緑の革命において最も新しものなのかもしれない。都市が意味するのは、それが小さいままでいる事(ほとんどの場合、)、また、都市の持つ善悪両方が関わり合う事。それはとりわけ、飢え、健康問題、民族、貧困、そして分離。多様な文化と同様に、活発なつながりと相互交流を意味する。

 

発達するコミュニティ: 都会の農場

 2001年、サンフランシスコ湾岸の田舎ソノマ郡で育った若い女性は、豊富な空き地と痩せ地による適切な食料源の不足を選んだ(隔絶されたカリフォルニア州西オークランドで)。()彼女には明確な解決案があった。ウィロー・ロウセンサル (Willow Rosenthal) は、City Slicker Farms をそこで始めた。人々と共に始め、その土地で上手くやる方法を突き止め、成功しているプロジェクトだ。彼らは近所の土地で余って見捨てられた区画をいくつも耕作するが、彼らの最も素晴らしい業績は、居住者が裏庭菜園家になるための手はずを整えたことだ。彼らは、始めるための土壌検査と農業資材を提供して、手初めの労働をシェアして、菜園が成功し続けるように、2年の技術援助をする。地元の居住者は、活用されていない土地を寄付する。スタッフとボランティアが働くところ、そして隣人が、おしゃべりをし、鶏やビーツをチェックしに来るところだ。憩う場所を作り出すために準備された土地さえもある。2013年、公衆の耕作地は3トン以上の食料を生産したが、裏庭菜園プログラムは、13.6トン近く生産した。それは、全コミュニティに行きわたらないが、そのようなプロジェクトを主要な食料源になる為や場所の変革をさせる為に拡大できる方法のモデルになっている。

 食物は素晴らしい。地域のつながりは、強くなっているように見える。しかしプロジェクトは近所の多くの人と同じ問題に直面している。お金だ。彼らはそれを集めなくてはならない。決して十分ではない。そして、共同農場と8人のスタッフには自給自足が見えない。その食物は、農産物直売所で、無料から正規の値段までの変動制で売られている。なぜなら、彼らが生産しているのは、技術、希望、コミュニティ。レタスと並んで。彼らが生産するものに価格をつける方法がないからだ。

 サンフランシスコ湾岸に、この種のプロジェクトがあるのは、サンフランシスコ湾岸だからだと言うかもしれない。より幅広いコミュニティが特別に豊かだというのは真実。西オークランドは、周囲が裕福なために、不動産費用の上昇(居住を特に難しくする)に直面している低収入の家族が多く存在する。City Slicker Farm が最近取得したもの、西オークランドの中心部の約1,700坪は、この課題に挑む試みだ。

 フィラデルフィアと、最も有名なデトロイトのような場所は、その逆の状況だ。:かなりひどい経済だが、耕作できる土地はたくさん。2006年、デトロイト市の廃墟後の農業風景と草だらけの大自然を見るために私が訪れた時、都市でさえ、放棄された100平方キロメートルの空き区画(コンクリートやアスファルトがほぼ剥がれ、ビルの谷間にある)があることに驚いた。同市には、サンフランシスコとほぼ同じサイズの植物が生茂る緑の穴があるが、その穴は、コミュニティ菜園と小さな農場で少しずつ埋まりつつあった。その場所は、深慮遠望な意味で、ポストアーバンだった。西オークランドの農民が夢見た(自分の食べ物をたくさん育てる)場所があった。

 お金と仕事のないデトロイトは、最終的に私たちが当然到達する未来のように見える。そして都市農業での最近の実験は、生き残る方法を解明する試みだった。現在、大抵は教育的もしくは理想主義的であるガーデニングの多くは、すぐに合衆国で実質的なニーズを満たすようになるかもしない。さらにこの国の飢餓レベルの上昇を考えると、それは今必要だ。デトロイトでは、著しい数の人が、年間の食事を真っ当な量で菜園から得ている。明らかに、この気楽なDIY食物供給を増やす余地がある。

 戦時下の家庭菜園モデルは、いかに裏庭と都市の菜園家が多産で、いかに、大規模にして、国へ供給したり、食料保障になったりする主要な貢献者になり得るかを示唆している。オハイオ州立大学のSharanbir S. GrewalとParwinder S. Grewalによる2011年の研究で、クリーブランド(もう一つの斜陽産業都市で、潜在的な緑地があり、空腹の人々が大勢いる。)自体で食料を賄うのためになるようなものが描かれた。最も野心的な提案に含まれたのは、全空き地の80%、全商業、産業用屋根の62%、全居住地の9%で、供給し得るのは、都市の生鮮品生産の最大100%まで、加えて鶏肉と卵の94%、蜂蜜の100%。これで市食料資金を最高1億1,500万ドル温存でき、不況の地域には大きな利益になるだろう。

 明らかに、デトロイト、クリーブランド、オークランドでは機能するかもしれないことが、暑過ぎるフェニックスや亜北極帯のアンカレッジでは、あまり実行可能ではない。気候変動はこれらの活動をひっくり返す可能性があり、あらゆる農業に対するのと同程度。2011年に、バーモント州バーリントンの Intervale Community Farm は、植物ばかりか土も豪雨に洗い流され壊滅した。春の大雨は、種蒔きを妨げた; ハリケーン・アイリーンは、秋野菜のほとんどを壊滅させた。

 ますます不安定な時代、確かなのは、都市が過去何世紀かに渡り、農業に攻め込んだ方法で、農業が都市に攻め込んできた事。またその理由は、成果物と同じくらい多種多様だ。。そして戦後特有の富は、私たち大抵の人には終わっていて、全てがもう少し不安定で、もう少し豊かで無くなっている。これらの状況を考えると、都市農業には、大きな未来がある。家庭菜園の教訓は他にもあり、種子と労働による見返りを伴うもので、多くの事がすぐに起こり得る。もし食物を育てる必要が生じれば、第二次世界大戦中にしたように、菜園が出現するだろう。

 

画期的な菜園

 野菜の種は、新しい革命の種だと主張できるはずだ。しかし、菜園は私たちの時代では楽ではない存在で、大いなる疑問に取組みつつ、それらから身をかわすやり方だ。「本当に突撃であるのに、撤退と表現される菜園もある。」と語ったことで有名なのは菜園家で芸術家のイアン・ハミルトン・フィンレイ(Ian Hamilton Finlay)。撤退としての菜園は、避難所(世界から引きこもる場所)を意味する。突撃としての菜園は、世界への干渉を意味するもので、庭の小さなスペースで、より大きなスペース、つまり社会、政治そして発想に参加することができる方法。どんな菜園でも、それ自体の撤退と突撃の間の関係に折り合いをつけていて、そうすることで、私たちの時代の政治的な疑問に関わる道を見出している。

 しかし、誰もがただ既存のシステムを捨てるという革命を起こすことはできないだろう。それは、日和見主義者や盲信者に委ねられるだけだ。自分自身の菜園を世話することで、例えば、モンサント問題に直面しない。農薬を促進する方法として遺伝子の組換えをした生命体を開発し、現在世界中で種子の保存を支配しようとしているその会社は、災いの基だ。先祖伝来の種を植えることは素晴らしい。しかし、誰かがモンサントを止めようとしなければならない。それには、政治的活動の組織化、首を突っ込むこと、向き合うことだ。またそれには、自分の菜園から外へ出かけることもある。農民がしたことだが  —  2004年に、ノースダコタの小麦農家が、世界中に遺伝子組換え小麦を導入するモンサントの計画を打ち負かした。彼らが導入しなかったわけは、伝来のオーガニック小麦を植え、素晴らしいパンが何から出来ているか学校の子供たちに語り、パン焼きをしたからだ。そう出来たのは、組織化、集合的な力、政治の取込みによるところだ。私たちの時代の一番大きな問題に必要なのは、大きく、協力的で、国際的な変革で、一回でどこかのルタバガ畑に届くようなものではない。

 空腹を満たすことは立派な仕事だ。しかし、飢えの原因を見つけ出し、立ち向かい、直に変えることもまた、行われるべきだ。都市農業は、柔軟で地域に根ざしたやり方のようで、飢餓や混沌とした世界の気候変動に順応しているが、これがある間に。私たち全員が直接、その根本原因に取組む必要がある。「radical(根本的)」という言葉の語源はラテン語の「根」という事実の中に何かがあるかもしれない。革新的な菜園家は、自分たちの状況の根本原因を突き止めるだろう。表面を耕すだけではないのだ。

 チャーチルは、菜園と戦争を正反対に位置づけた。それは菜園を平和的で個人的な領域への撤退とみなしたためだ。私たちの時代は、関わりを必要とする。City Slicker Farms は、作物の1つとしてそれを生産する。あなたは全世界を菜園として想像することができるかと思う。そうであれば、企業を草のように引抜き、古い分離を堆肥化して, 伝来のトマトとフダンソウの間に、希望と破壊と熱烈な献身を植えたいのではないだろうか。主な疑問は、いつもこうだ。:主要な作物は何か?そして、誰に供給するか?

 

著述家で歴史家のレベッカ・ソリント (Rebecca Solnit) は、環境、景観、コミュニティー、アート、政治、希望、物語の力に関する 15 冊の本の著者。本稿は、Orion 誌、2012年7/8月号の「Revolutionary Plots」をまとめたもの。

 

The New Urban Agriculture: Growing the Second Green Revolution

By Rebecca Solnit 

April/May 2015

 

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