倫理的な食肉処理を若者に教えること

動物の食肉処理のデモンストレーション、ジョエル・サラティン(Joel Salatin)の鶏肉処理などは、肉を倫理的に食べるために、感覚のある動物を尊重し、食肉処理施設と工場式の畜産場を拒絶し、そして命のサイクルを受け入れなければならないことを子供たちに教えている。

 

じっと見ている子供たち、頭を引き出して、足を切る。2015年のマザーアースニューズフェア トピーカ(カンザス州)にて。 

 

 Featherman Equipment社のデビッド・スチャファー(David Schaefer)と私は、2012年から鶏肉加工のデモンストレーションをしている。私たちの鶏肉デモンストレーションで、デビッドと私は、「鳴き声のしない処理」とデビッドが呼ぶ、人道的な食肉処理技術を教えるために何でもしている。どのフェアでも、デビッドと私は、8羽の放牧で育った鶏を、殺し、熱湯処理をして、羽を抜き、内臓を取って、冷やし、事細かに見せる。(もし、マザーアースニューズフェアに行ったことがないのなら、行こう。いい経験になる。)

 2015オレゴンフェアのデモンストレーション中に、私たちとステージに上がりたいと無邪気にねだった9才の出席者には、デビッドと私は3年の経験があっても驚かされた。普段と変わらず、私たちは同意し、そして、この子は いつの間にか、鶏の頭を引出し、それを意気揚々と持ち上げた。観客は、はやしたて拍手をした。

 デビッドと私が落ち着く間もなく、他の子供たちが近づいてきた。何人かは、沸かした水をのぞき込んだ。他の子は、足をつかんだ。首を落とす子さえ何人かいた。デビッドと私は、互いに目を合わせ、私たちの実用的な集会に、見せ方の新しい一面が確実に加わったと理解した。アッシュヴィル(ノースカロライナ州)のフェアで、私たちは、子供たちが前方に出ることができるように彼らの親に頼んだ。 (すると、約十数人が参加した!)

 この話に対する反応は圧倒的に肯定的だが、一部の人は子供たちを積極的に動物処理に参加させることに強く反対する。私はこの厄介な問題に少し取り組みたいと考えている。なぜなら、子供たちが動物の食肉処理を経験することに対して、否定的な反応をする人の多くは、2つの大きな誤解があると思っているからだ。

 

肉の神話

 第1の誤解が作用していて、肉を食べることは不要で、不道徳であり、感覚のある存在を殺すことは野蛮で、むごいからと述べている。動物を殺すことを拒否することは、宇宙意識の新たに進化した状態を示すものではなく、むしろ、地球上の全ての命を支える、命―死―分解―再生のサイクルからの完全な分離を示す。すべての物は食べているし、食べられている。もし私を信じていないなら、3日間、ご自分の菜園の植床に裸で横たわり、あなたと虫と野菜の間で何が食べ、何が食べられているかを見てみるといい。

 はっきりさせてもらうと、動物は、地球上唯一の知覚を持つ器ではない。自然の全ては、観測と言語そして適応で満ちている。ヒマワリが空を横切る太陽の軌道によって向きを変えるのは、そう知覚があるということだ。むしゃむしゃ食べる草食動物や虫を惹き付けないように葉が自ら化学成分を変えるのは、知覚があるということだ。善玉細菌は、すべての人間の細胞を守るようにつながっている。知覚があるということだ。さらに、循環は、ちょうど知覚能力と同じように、世界の広範囲にわたっている。生物学的循環が生命を生じるためにいかに死を必要とするかについて、コンポストの山が、おそらく何よりもよく示している。私たちが、死は生命の一部だと認めたら、動物処理は、地中や、私たちの体の中で毎日起こることの典型だと理解できる。

 第2の神話の支持者は、動物の食肉処理を含む、食糧生産と加工への参加を人が本能的に回避することは自然なことだと主張する。これは、歴史的に言って、完全に常軌を逸している。現代の西洋の特権でおいてのみ、それと知らずに生態学的な食糧システムから切り離すことができる。そんな贅沢は避け、私たちは、地球上の他の多くの場所と同じように、子供が一切れの鶏肉、またはコップ1杯の牛乳に喜び、さらに、その食物が彼または彼女の皿の上にのるのに関わる起源と過程を子供たちが分かる場所にする必要がある。

 

動物の食肉処理の方法と認識をシフトすること

 何者かが他の者が生きる為にいかに犠牲にならなくてはならないか受け入れられないことは、些細なことに見えるのかもしれない。しかし私は、それは人がいかに生命に価値を置くかに深く影響を及ぼすと思う。

 食肉処理への参加は、生命を支える生態系全体に対する個人的な責任を子供たちがどのように見定めるかに影響を与える。率直に言って、私たちが食肉処理に参加するための適切な年齢の議論をもっと早く始めなかったことに驚かされている。

 Polyface Farmsでは、妻と私はこれまで暮らしのための労働から、子供たちを隔離してこなかった。私たちがサヤインゲンを栽培するために庭で雑草を抜くことだろうと、冬にあたたかく過ごせるように薪を割って積み重ねることだろうと、または次の週の食料を備えるために鶏を解体することだろうと、私たちは、すべてに初めから子供たちを巻き込んだ。彼らを生命の壮大なサイクルの底深さと幅広さ、神秘と尊厳に触れさせるためにふさわしい時間だった。

 命をいたただいて生きるという深いプロセスから得られた生命維持に必要な実習なしでは、次世代が生命の重要性を理解できないことを、私は心配している。生命の尊さ。私たちの判断の影響。私たち自身の依存状態を直視すること。というのも、世話をして収穫する食物が、私たちの理性を形作りや精神を謙虚にさせるからだ。

 呼吸を整えよう。私が書いたもので、一部の人々は嫌悪感を覚えると確信している。おそらく、ひどく怒らせることにさえなるだろう。そして動物の虐待、工場式の畜産場とそのひどい工場式食肉処理場について尋ねるだろう。信じて欲しいが、そのようなやり方すべてに、他の誰もと同じように、私も嫌悪感を抱く。運営規模の大きさと係り合いたいという私たちの意欲が大きな意味をもたらしている。自給自足と食物システムへの楽しい参加の訓練を子供たちにすることで、私たちが工場式の畜産場や処理施設を廃絶させることができると私は思っている。そのような恐ろしい、大規模な産業活動がある背景は、どんなことをしてでも利益をあげるという私たちのパワーだけではなく、無知の風潮の中、誠実さがこれまで存在しただろうという私たちの仮説もそうだ。動物がどのように扱われるか(畜産場を始め一連の処理システムのどの場所でも)、ほとんど誰も知らないことは、虐待を広げる盲点を作っている。

 

より人道にかなったやり方

 動物を虐待することに加えて、現代の処理施設は、そこで働く人に対して非人道的だと私は思っている。一日中、毎日、誰も動物を殺すべきではない。子供が小さいうちから食肉処理工程に参加するのを、私は勧めるけれども、(年齢にかかわらず)定期的に食肉処理に触れさせることを監視することに強い信念がある。食肉処理へ過度に晒されると、冷酷さを可能にして、人間以外の命との感情的な不安定さを進める。

 しかし、動物の世話をする人が、感覚のある生き物の命をとることに参加する時、犠牲は神聖冒涜よりむしろ、神聖さを帯びる。特殊性(または、デビッドの言う「鶏の鶏らしさ」)を表すことができる食生活と生活環境を提供することにより、生きている動物のに敬意を払うことで、食肉処理を尊厳あるその一生の完了にまで向上させる。

 子供たちが鶏を食肉処理するのを何十年間も助けてきて、子供たちが10才までに食肉処理に触れなかったら、大抵、彼らの最初の経験は、無邪気に受け入れると言うよりはむしろ、強い嫌悪を呼び起こす。と私は思っている。自分自身経験していないのに、小さな子供たちのために、この責任を受け入れた親のための警告:あなたは、子供たち以上に経験認識と戦うことになるだろう。子供の率直な気持ちと発見を重視する心は、自身の人生の気づきの一部として食肉処理イベントを見るだろう。しかし生活からこの全てが分断されてしまった大人は、胃が締め付けられるかもしれない。食べ物は、行事になると思っている。農場から食物を祝いの席に謹んで持ってくることは、決して私たちを不快にさせないだろう。

 動物の命の世話と管理において、動物を倫理的に処理することは、最後の敬意の表れ。私たちが保護して餌や水をやっていた感覚のある生き物を処理するその瞬間は、動物の生命との深い親交になる。自分の子供に、その様関係性の理解や立ち会いや参加を勧めることで、忠実さと人格が構築されている。

命に死はつきものだということを若者に理解させないことは、彼らに自己中心的で浅はかな思考への扉を開く。

 もし動物が健康に飼育され、人道的に処理され、そして感謝の気持ちで食べられたのなら、その美しい循環が、精神もしくは感情を傷つけるはずがない。そう。その美しさは、動揺と深い喪失を伴うが、苦しい時間が美しい瞬間を作る限り、感情や精神的なバランスのために、子供たちは全体像を理解するだろう。

 さらに、私たちが倫理的な食肉処理に基づく時、工場式の畜産場は、神聖な生贄をささげることはできないと知っている。なぜなら、それらは、命をおとしめ、安っぽくするからだ。しかし、動物が尊敬と名誉で飼育されたなら、に食肉処理は、私たちの弱さや相互依存、そして生命とその管理に対する責任に私たちを向き合わせる。子供たちがこれらの深い概念に取り組むことに、早すぎるということは決してない。

 

ジョエル・サラティン(Joel Salatin)とその家族は、ヴァージニア州スウォープのPolyface Farmsで動物を立派に飼育し、処理している。Joel は「Folks This Ain't Normal」の著者で、地域の食料や持続可能な農業に関連した他のタイトルも多数。そのうちのいくつかは、MOTHER EARTH NEWS storeで利用可能。

 

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Teaching Young People Ethical Animal Slaughter

By Joel Salatin 

February/March 2016