50 周年のマザーアースニューズ  

マザーアースニューズ ジョエル・サラティン 自給 DIY

ジョエルが熟考。過去半世紀にわたり変わったこと、変わっていないこと。

翻訳:金広 まさみ

 

 本当に 50 年たったのか?13 歳だった 1970 年、質素な紙に全て黒白印刷のこの新しい雑誌を堅物な父親がむさぼり読んでいたのを思い出します。それはマザーアースニューズと呼ばれていて、想像できるあらゆる種類の帰農と自立のアイディアでいっぱいでした。ジョン・シャットルワース (John Shuttleworth) は、カウンターカルチャー出版物を量産した先見の明のあるチームを方向付けしました。

 ウッドストック後、マザーアースニューズは、第二次世界大戦世代の拠り所を疑う第一次ベビーブーム世代の挫折と希望の両方を具体的に示しました。読者は、アラン・セイボリー、ビル・モリソンや A. P. トムソンを含む農夫インタビュー (Plowboy Interviews) を通して、環境保護運動の象徴を多く紹介されました。各号で、文化の方向を変えたくてたまらない私たちは、情報と新しい指導者という鉱脈を授かりました。

 私たちと同じように考えている人々を見つけるのは、なんという喜びだったでしょう。あの当初、私はワクチン無しで鶏を育てている未熟な 10 代の少年にすぎませんでした。しかも、移動可能な小屋に入れて草地で飼っていました。4H クラブ(農業青年クラブ)の活動的なメンバーとして、バージニア工科大学の動物および家禽科学学科 (Department of Animal and Poultry Sciences at Virginia Tech.) から絶え間のない主流派の考えを受けとっていました。それどころか教授たちは彼らのカリキュラムに私を登録させるために、精力的な組織的活動に取りかかりました。私を旅行に送り出し、カーネル・サンダース (Colonel Sanders) に紹介し(記憶に残りましたが)、あらゆる種類の圧力をかけました。

  しかしその活動から家に帰るたびに、工業的、機械的な主流派的慣行に疑問をあげる指針となるもの、マザーアースニューズがありました。それともう一つ、Organic Gardening and Farming(有機園芸と有機農業)誌は、我が家では聖書と並んで偶像的な高い地位でした。それは今思うとまったく普通ではなかったですね。

 私の形成期においてマザーアースニューズは、従来の体制側の思考への防御手段でした。全てを疑うよう強く勧めました。「コン・ティピ (Kon Tipi)」(1982 年 5、6 月号)という題の特に魅力的な話を覚えています。コンティキ号の功績は当時、話題だったので「コン・ティピ」のような題が私の注意を捕えました。記事は、入植して土地を手に入れ、柱と重いキャンバス地だけで家を建てた家族についてでした。約 20  年で新しい外装が必要になりましたが、全体の構造部自体は 1421 ドルしかかかりませんでした。インフレ分を調整したとしても、20 年ごとに改築するのに僅かしかかからない家に住む財政的価値をわからない人はいないのでは?気に入らないことはないのではないか?

 そのような考え方が、価値と文化的規範についての私の観点を形作りました。多くの物を欲しがる代わりに、少しの物を欲しました。高資本農業の代わりに低資本農業を欲しました。スーパーマーケットの代わりに、食料貯蔵室、根菜貯蔵用の穴と裏庭菜園の豊作を欲しました。それから代替燃料運動が始まりました。木ガス、太陽光、風車、まきストーブ  ―  各号のページは、代替案で私たちの心を刺激しました。当時の雑誌の個性を一言で要約すると、「希望」です。意欲が湧くような精神が全てのページに溢れていました。

 私の書庫には、栽培時期を伸ばすこと、薪の束を作ること、家庭用雑排水システムというような多様な話題についての何百もの黄ばんだマザーアースニューズの記事があります。今日も、この遺産の列に加え続けています。レジリアントな生活について書けそうなことは全て、今までに書かれてしまったと思うでしょう。しかし違います、革新は続いています。そう、過去半世紀の間、何が変わって何が同じままでしょうか?

 まず第一に、私自身著述家、出版業者として、印刷技術の明らかな進歩を見てきました。初期の版は見栄えの良い新聞印刷用紙でした。今日、つやつやした色の見た目は人の目を惹き、上等です。記録として、私はきらびやかな体裁でなく内容に基づいて買います。しかし近頃のマザーアースニューズは机上でずっと控え目に見えます。読者の皆さんはどうでしょうか。

 次に、運動と雑誌が成熟したので、両方が現状のあまり口うるさくない評論に落ち着き、「普通」なもの全てが「悪い」のではないと認めました。ヒッピーが成熟して親と従業員になったように、内容が実質上の方向転換をして、雑誌はものを言う力、つり合いと最適な場所を見つけました。1990 年代にマザーアースニューズは道を見失っていたと言うのは冷徹な物言いだとは思いません。一時期は売れ行きが急落して、私たちの多くが定期購読をやめました。しかし世紀の変わり目までに、雑誌は再び地盤を見出し、ちょうどベビーブームの頃でした。ベビーブーマーたちはあまりにしょっちゅう主流派的慣習の手の内に引っかかっていましたが、再び物事を疑い始めました。 

 年齢は、自分がどこにいて、どうやってそこに着いたかを再考させます。団塊世代がいくつかの自分の根っこを再発見するのに加えて、ミレ二アル世代は不足、持続可能性と魂が満足する仕事に関して問いかけを始めました。彼らは会社のために働いて一生を費やすことでは、魂が満足しないと悟りました。退屈な仕事の中で成長することが、多く のミレ二アル世代を社会起業に後押ししました。そしてそういう個人にとって、マザーアースニューズは再び希望を提供するためにあったのです。

 そして変わらないものを私に届けてくれています。幅広い範囲のテーマに関する実用的などうすれば良いかの助言が雑誌の本業だったし、そうであり続けています。しかし今、自然環境と気候変動の理解によってあらためて引き起された切迫感が、ページのなかで人を駆り立てる趣旨となっているのです。

 もはや、より楽しく生きる方法や社会の期待から離れて自由になることについてではありません。今は生き残ること、健康や孫を養うことについてがもっと多いです。新しい理解が古いテーマに光を注ぎます。例えば、微生物叢と土壌の健全性関連を強調する研究は、初期の堆肥作りの内容をはるかに超えています。私自身の観察では、ホームスクールのムーブメントは、体で覚える教育ムーブメントと同様に、雑誌の使命を活気づけるものを提供してきました。今の読者は征服するより世話し、搾取より探究したい人々で構成されています。

 私の感覚では、雑誌は地球的な使命から個人的な使命に大きく動きました。全体的な観点を持つのは常に良いが、世界的な問題は全て、地域の機能不全から始まるというウェンデル・ベリーの警告は価値があります。家に菜園を造り、エネルギー機器を組み立て、サンルームを据え付け、薬草の隠し場所を作る  ―  これらは目の当たりにしたい変化に、私たちが腹の底から参加できるようにしてくれるのです。

 私たちの状態、今どこにいてどこで暮らしているかを変える計画に着手することで力がつきます。確かに、多くの小さな行動が積み重なった結果は大きな変化を起こします。それが今日のマザーアースニューズの個性です。大災害と機能不全が至るところにある中、私たちを絶望から希望へと動かす為せばなる情報がここにあるのです。もし私たちが為すことが、影響を及ぼせる範囲を超えたことについて集中したり話したりすることだけなら、スティーブン・コヴィーが言うように、いつかは疲労困憊し、燃え尽き、抑鬱症に陥るでしょう。

 今日のコーチングブームは、私たちの多くが感じている無力化を説明します。私たちは仕事では人に話すことができません。あるのは電話ロボット(1、2、または 3 を押す)だけですから。自分で車を修理できません。コンピューターを修理できません。冷蔵庫を修理できません。全てが複雑で、技術的に手が出せません。そこで私たちはウェルネスコーチ、フィットネスコーチ、栄養コーチ、投資コーチ、自助コーチに頼ります。ほとんど何にでもコーチを見つけることができます。

 マザーアースニューズのページに人々をひきつけるものは、50 年前に私たちをひきつけたものと同じものです。「何ができるというのか?」という絶望的な溜息が、雑誌のページからの自己の能力を高める企画に参加することによってなだめられます。それが、よく考えている人々全て、異端者全て、「変わり者の過激派」全てをひきつけるメッセージです。マザーアースニューズが更に 50 年間、明るく響き渡る呼び声をあげてほしいです。未来は面白くて、たぶん混乱させられることでしょうが、これらのページを通して私たち皆が乱気流をよく切り抜けることができるでしょう。

 

たのしい暮らしをつくるマザーアースニューズ

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