規模を調整して有機穀物栽培

予想せぬ移行を受け入れることで、ウェプキン家は新たな農業の扉を開いてきた。

 

ウェプキン家は、ウイスコンシン州の 360ha の農場で、穀物を栽培し、牛を育てている。Photo by National Young Farmers Coalition

文:ジョン・ウェプキン (John Wepking)

翻訳:金広 まさみ

 

2017年1月下旬にうちの農場で驚きの子牛が誕生しました。状況を無視すると、これは幸せな不測の出来事―予期せぬ贈り物のようにさえ見えるかもしれません。しかしながらウィスコンシン州はまだ真冬で、準備していませんでした。出産は肉牛の群れでは年中行事で、最初の出産を心待ちにしていました。しかし、気候が暖かくなって牛が全部良い緑の草の上にいる4月後半まで、出産を全く予期していませんでした。

 私たちは22頭の若雌牛(ギャロウェイとショートホーン)とチーフという名の満1年のショートホーンの雄牛で群れを始めました。しかし小さい黒いギャロウェイの雄子牛はチーフの子ではなかったのです。牛は人間と同じように、ほぼ正確な妊娠期間があります。そして私たちはチーフを2016年7月20日に若雌牛と一緒に外に出しました。ざっと計算してこの子牛は、その母親を買う前2016年4月に身籠ったようだとわかりました。寒さと雪にもかかわらず、この子牛はまだ私たちと一緒にいて、彼の回復力に元気付けられています。 

 農業には絶えず、私たちの思い通りにならないと気づかされます。天候、病気、けが、雑草 ― それらはみな、すでに五里霧中で他にすることがたくさんある日々に一撃をくらわす傾向があります。そんな日々に、

窓から降ったばかりの雪を見ていると、野生の林檎の木の下にただ1頭いる雌牛の後ろから、4本の小さな足と揺れ動くしっぽが突き出ているのが目に入るのです。

 人生を通して農業の要素(生産的な創造性、苦労、動物、実って風にさっと掃かれる穀物、深い静寂、新しい雪の開けた広々とした場所、臭いさえも)は、いつも私に訴えました。私の一部はいつも農業に戻りたかったのですが、20代は思うままに都会の仕事をして過ごしました。人生での素晴らしい時でした。そして環状の道にいたみたいだと、多くの面で今感じています。10年の間、学生、バーテンダー、カフェの店員、都市計画者、料理人そしてパン職人でした。

 3年前、ハリー(当時のガールフレンドで今の妻)と私はブルックリンに住んでいて、レストランの料理人としての仕事を離れる用意をしていました。私たちは全所有物と猫のハーベイをU-ホール (U-Haul) トラックに載せて市を通り抜けジョージ・ワシントン橋を越えて、西へウィスコンシンまで運転しました。ほんの数日の間に、荒れ果てた街区の寝室3つのアパートをルームメイト2人とシェアすることから故郷の家に住むまでになりました。

 私はウィスコンシン南西部のドリフトレスエリア(古生代台地地域)の農場とその近くで育ちました。そして家族はまだ故郷ランカスターの丁度東に80haの農場を持っています。家族は肉牛の小さな群れを育てていましたが、この辺りのほとんどの農家は大きな換金作物の生産過程の一部になっていたか、借りるか買うかして、郡の大部分を単一栽培の牧草地の碁盤目模様にしてしまった牛の閉じ込め飼育酪農場でした。

 ニューヨークからウィスコンシンに引っ越した後、私たちがした最善の決心は私の家族の農場から歩み去ることでした。1年半後に、農場の未来についての議論が遅々として進まないのに怒りをあおられ、決して来ないかも知れない機会を待つことに関心を持てませんでした。当時はとても苦しかったけど、個々の碁盤の目の区画を農場経営するより農業全般が自分たちにとって大事だと発見しました。

 そこで、クレイグスリスト(地域ごとの売ります買いますサイト)で出会った、72km東にいる終生の農夫ポール・ビックフォードのために働く仕事につきました。ポールは数年前に乳牛を売って、およそ364 haの酪農事業を有機作物農場に変えました。すぐに、ささやかな報酬を得て以前は想像できなかった規模で働く農家になりました。農業を思い描いた時、家族の80haを思い、303haの耕作地と多くの見込みがある牧場を考えていませんでした。しかし規模に順応したので、大きな有機農場で働くのは恐ろしさが減りワクワク感が増えました。この規模で栽培することで、市場への良い入口を与えてくれました。そして環境保護の観点から私たちが責任を持って農業をすることで、地域への現実の影響力をもつことができます。加えて、有機方式に変えたい他の農家の見本になれます。将来の負債には愕然としますが、この道の潜在力は簡単にマイナスを上回ります。

 飼料用の有機ウモロコシと大豆を育てていて、アルファルファを確立するために保護作物 (nurse crop) として大麦やオート麦のような小さい穀物を育てています。また多くの干し草を作ります。ハリーと私がやってきて以来、食品等級の製粉穀物(小麦、スペルト小麦、フリントコーン)を育て始めましたし、駆け出しの牧草飼育での肉牛の群れと共に家畜を農場に再導入しました。

 今のところ、働く土地を所有していませんが、また大きな負債もありません。牛を買うためファームサービス・エージェンシー (FSA) のローンを組みましたが、使っている機器と建物は全部ポールのものです。私たちは良いチームを作っています。ポールは63歳で、残りの農業年数はかなりあります。だから今のところ、経験という財産持っていて、生涯に学んだすべてを分かちあおうと熱望しているメンターと一緒に働けて幸せです。彼は私たちがいつか農場を買うのを当てにしていて、私たちは彼が売ってくれるのを当てにしています。その受け渡し方を見いだすまで、できる限り働き学べて幸せです。

 

このストーリーは、National Young Farmers Coalition と King Arthur Flour が提供している新しいブログと映像シリーズの一部分です。先駆者的な穀物農家の紹介はこちら。www.YoungFarmers.org/Heart-And-Grain

 

 

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Adjusting to Scale: Farming Organic Grains 

By John Wepking | April/May 2018