直撃レポート:ゆっくりとしっかりと

マザーアースニューズ 薪壁 コードウッド 家 DIY

ウィスコンシン州の夫妻がシェアする工程表。

薪壁建築を少しずつ。

文と写真:キムとロバータ・バラム (Kim and Roberta Barham)

翻訳:山下 香子

 

 30 年近く、仕事も住まいもウィスコンシン州のマディサンだった私たち夫婦にとって田舎暮らしは長年の夢でした。けれども、田舎の物件をさがしても、居住可能な建物付きの物件はすぐに買い手がついてしまうので、数年を無為に過ごしてしまっていました。そこで、夢の家を手に入れるためには自分たちで建てなくてはならないと腹を括ったのです。

 代替の建築技術を調べ、コードウッド工法 [丸太を埋め込む薪壁を造る工法] に決めました。私たちの夢の家の内容について話し合うことから計画作りは始まり、手頃な価格のソフトを使って間取りの設計をしました。

 2002 年にウィスコンシン州のモスコー郡区に念願の土地を見つけ、購入が叶いました。そして、2004 年に最初の設計図を手に夫のキムがレンタルの掘削装置を使って地ならしをしました。私たちのコードウッド住宅は広さがおよそ 12 x 18 m で、屋根裏部屋付きの 2 階建てにする計画でした。南向きに建てるのでパッシブソーラーを利用でき、また、天然の泉やなだらかな丘、そして在来の野生植物の素晴らしい景色を一望できるように建てることにしました。

 支払いはその都度、現金ですると決めていたので、建築の進行はゆっくりしたものでした。2006 年にフォーカス・オン・エナジー (Focus on Energy) のプログラムを通して、送電網に連係する太陽光追尾式ソーラーパネルを設置することができました。また、40 cm のコンクリート壁を打つ準備として 80 cm の深さに地面を掘ってコンクリート基礎(フーチング)を造りました。このコンクリート壁の上にコードウッド壁を構築することになります。その後は専門のエンジニアに依頼して間仕切りのない見取り図に配置する木材の設計をしてもらおうと決めました。

 2007 年にコンクリート型枠をレンタルし、キムが鉄筋同士を縛って中に固定した型枠をつなげました。そして、壁を打設し、断熱しました。2008 年に放射断熱下張り、管類、送電網を取り付け、そこにスラブを流し込みました。また、食料庫を造るために内側にもコンクリート壁を打ちました。

 2009 年の 3 月に滑車装置を使って骨組みを造り始めた時に特注の木材と持ち送り [梁などの張り出した部分を支える補強材] を使いましたが、長くて重い梁の扱いには役に立たないということがわかり、建設用リフトをレンタルしました。敷地に生えていた木を切り倒して、窓とドアの枠にする硬木材として製材しました。妻のロバータのきょうだいのトニーがベテランの大工なので、骨組みと屋根と窓枠を組み立ててもらいました。

 

 2009 年の 7 月には、クレーンのレンタル会社に依頼して、家の最も高いところ、つまり、屋根に最後に設置することになる垂木一式を組んでもらいました。工程の合間(と冬の間)は、大型の防水シートで骨組みを覆いました。この年の冬までに全ての部分を覆うために(と言っても包み込むのではなく)、地元の会社数社に依頼して金属製の屋根を設置し、断熱用スプレーフォーム(スプレー式発泡体)を吹き付けてもらいました。また、屋上緑化するつもりだったので、家の東と西のウィングの上に据えたベイマツの板張り(22 cm 弱でさねはぎ継ぎするエンドマッチ加工をした板で組立てるもの)を覆うように防水膜(商品名 Bituthene)を貼りました。これらの屋根の部分には最終的にはセダムが植えられることになります。。。。

 

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