街中の鶏

マザーアースニューズ 自然 農 自給

都会や郊外での鶏の飼い方、そして鶏を飼うことで人類とどのようにつながるのかを学ぼう。 

文:ダリア・モンテロッソ(Dalia Monterroso)

翻訳:沓名 輝政

 

 私が飼っている鶏たちは、毎日私の注意を必要としています。天気がどうであれ、毎朝、私は外に出て鶏の世話をしなければなりません。正直に言うと、そのような早い時間でも、私は仕事や家事の責任が迫ってきており、すでに疲れ切っていることが多いのです。静かな自然の音を聞きながら、私はまず群れの水皿を洗い流し、すっきりとキレイにします。次に、小さなボウルにエサを入れますが、ボウルは庭のあちこちに置いてあります(我が家の様々な鶏種の混ざった群れには助かるやり方です)。最後に、鶏舎の扉を開けて鳥たちを放すと、羽毛の旋風が私の前を駆け抜けていきます。ほどなく、それぞれの鶏に合わせた曲を鼻歌で歌い、私の気持ちも和らいでいきます。

 この短い朝の瞑想がどれほど私の気分を高揚させるかは、日々の驚きです。悩みが尽きることが無いと思える時代だからこそ、この経験の価値がなくなることはありません。

 私は長年、裏庭養鶏の教育に携わってきました。当初から、私は、鶏ほど人間との関係が太く長い動物はいないという考えに魅了されていました。鶏は、私たちの歴史や文化、そして精神性の一部でもあります。だからこそ、私は鶏を「人類の最も素晴らしい共通項」と呼んでいますし、鶏との絆があるからこそ、人間同士の理解が深まるのだと感じています。2017 年、私はウェスタン・ワシントン大学で行われた TEDx トーク「I Dream of Chickens(鶏の夢)」でこの気持ちを表現しました。それは本当のことで、私は本当にそう思っています。私の夢は、鶏が私たちを互いに人間としてより親密にしてくれること、そして私たちが共有するこの地球をより大切にする手助けをしてくれることです。

 しかし、私と鶏との関係は自然なものではありませんでした。私の母は、新興工業国のグアテマラで育ったため、祖父母が鶏を飼っていたことを覚えています。しかし、母が子供の頃、家族は村を出て都会の長屋に移り住みましたが、そこでは動物を飼うことができませんでした。1965 年、国が内戦状態に陥ったため、母と父はグアテマラを離れ、アメリカに移住することを余儀なくされました。私が生まれた頃には、郊外に家を構えていましたが、仕事が忙しく、家庭菜園や家禽を飼う余裕はありませんでした。そんなわけで、私は食べ物から切り離された状態で育ちました。このような状況に陥る原因は様々ですが、私の経験は私の家族に限ったことではないと思います。多くの皆さんが今から養鶏に足を踏み入れるように、私も大人になるまで鶏とは縁がありませんでした。

 今では、鶏は私と一緒に一日一日を乗り越えています。自然との断絶が日常となり、自然との短いつながりが非日常となった環境で、栄養士やセラピストのような役割を果たしてくれています。彼らは、Zoom の電話会議や時短料理が可能な近代化された私の住居で一緒に暮らしていますが、彼らが必要とするものは、何千年にもわたって地球上で草を食み、動物界の野生の側にジュラ紀の小さな足を置いてきたことから生じています。そのため、私は彼らの生活をできる限り自然の傾向に近づけようとしています。限られたスペースでこのような試みをするには、いくつか特有の課題があります。だからこそ私は、都市部や郊外に住んでいる人たちに、鶏が餌を食べたり引っかいたりするための牧草地がないにもかかわらず、どのようにすれば最善の方法で鶏の世話ができるかを伝えることに相当情熱を注いでいます。 

 

孵化に関する重要な情報

 孵化の段取りが始まると、抱卵する雌鶏は、すべての卵が孵化するまでの 1~2 日間は、飲食のためにも巣を離れず、卵の上でじっとしています。卵は、抱卵中よりも孵化の最中の方が、温度や湿度の変化に特に弱いものです。自分の手で卵を孵化させる場合は、可能であれば別の孵化器(インキュベーターやハッチャー)を使用し、19 日目に卵を移動させます。この段階では、卵を回す必要はなく、孵化器は孵化が完了するまで「ロックダウン」つまり、閉じてお くことができます。

 

都市部での放牧飼育 

 放牧で鶏を育てることには、いくつかの利点があります。そのひとつは、卵がより健康的であること、もうひとつは、鶏自身がより健康的であることです。放牧で育てられる鶏は、無限に広がる植物、土壌中の多様な有益な微生物、病気にならないための広い空間などを利用できます。一方、狭い土地で鶏を育てると、生活のすべてが同じ空間で行われることが多いため、寄生虫が発生したり、病気になったりすることがあります。しかし、私はこのことで、田舎ではない環境で鶏を楽しむことを誰かに断念させたくはありません。この問題を軽減するために多くのことができますし、私たちの鶏、ひいては私たちの家族や地域社会に、放牧で育てられた鶏やその飼育者が享受している利益を与えることができるのです。

 栄養豊富な牧草地がない場合、鶏に必要な栄養を満たす食事を与えることが特に重要になります。よく見かけるのは、製造された鶏用の飼料を「鶏が食べるべき唯一のもの」と称し、食品廃棄物は敬遠され、一部の地域では違法とされています。残念ながら、このような考え方には根拠が不十分です。ただ、無数の卵を産むために作られた現代の品種の多くは、非常に多くの栄養が必要。そのため、鶏の食事は主に鶏の飼料であるべきだと言うのも不合理ではない。産卵鶏が健康な生殖器官を持つためには、一定の量と種類の栄養素が必要であるという事実は無視できない。

 しかし、残ったブロッコリーをまだ捨てないでくださいね!ほとんどの鶏の飼料は加工されているため、製造に要する高熱で一部の栄養素が失われています。私は、鶏が緑の牧草地を利用できない場合は特に、健康的な食品廃棄物を鶏の食事の重要な一部として支持しています。厳密な数値の泥沼にはまるよりも、シンプルな「鶏のフードピラミッド」を想像してください。鶏の飼料は最下層にあり、最も必要性の高いものとして示されます。中央の層には、 健康的な食品廃棄物(主に葉物野菜、その他の野菜、糖分の少ない果物)、新芽、飼い葉があります。一番上の層の最も小さな領域にあるのが、健康的なごちそうです。鶏専用に作ったものや、野菜以外の健康的な食品廃棄物などがこれにあたります。このシンプルな目安に従うことで、鶏は飼料から必要なものと新鮮な栄養分を得ることができ、人間は廃棄物を管理できるのです。結果として、より健康な卵、より幸せな鶏、そして古くからある手順を更新することで恩恵を受けるコミュニティが生まれるのです。

 新芽や飼い葉は、鶏のフードピラミッドの第 2 層に該当し、鶏は不足している栄養素を簡単に摂取できます。少しの工夫で、瓶の中で新芽を栽培したり(下記の説明をご参照)、鶏の運動場で飼い葉を作ったりすることができます。都会の人も郊外の人も、「チキンサラダバー」と呼ばれるプランターの仕組みを作ることができます。このプランターでは、鶏が小麦、大麦、亜麻などの植物を食べることができ、種を食べたり、成長する前の植物を台無しにしたりしないで済みます。これを実現するには、鉢や上げ床などの植物容器をワイヤーメッシュでしっかりと覆う必要があります。その結果どうなるのか。鶏は、根をつついたり引っかいたりすることなく、育った植物をワイヤーを通してついばむことができるのです。

 

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