Dear マザー 2021年4/5月

マザーアースニューズ  自然 DIY 自給

「私は、自分にとって初めて貴誌が郵便で届くのをとても楽しみにしています。たわいもないことですが、私が愛していても知る機会がなかった人とのつながりを与えてくれることは、何物にも代えがたいものです」

翻訳:沓名 輝政

  

編集部選

知識の共有

 今年は誰にとっても厳しい年でした。私たちの住むマサチューセッツ州の小さな街は新型コロナウィルスに襲われ、それに伴う失業や食糧不足に見舞われました。食肉加工工場は閉鎖されました。トラックも止まってしまいました。各家庭の規模に関わらず、食料品店に行くと肉は 1 パックしか買えませんでした。鶏肉も不足しており、卵も手に入りませんでした。私たち夫婦は、ダウンタウンから 2 ブロック離れた場所に、都市型の小さな農場を持っています。鶏や肉用のウサギを育て、菜園や果樹も栽培しています。そのすべてが 1/2 エーカーにも満たない広さです。私たち家族を養うためのものが、多くの家族の食料源となっています。近所の人や年配の友人たちに卵を提供して、彼らのたんぱく質を確保しています。雄鶏のエルビスとその妻たちが受精できるだけの数のヒヨコを孵します。あるものは孵化器で孵し、あるものは雌鶏の下で育てます。私たちは、街中の家族がそれぞれの地域の条例を調べ、鶏舎を建て、家族のために群れを作る手助けをしています。3 月には、室内で植物を育てる方法を教え、窓辺や屋上、中央分離帯などで自分の菜園を作ることができるようにします。私がこのような話をしているのは、自分の自慢話をしたいからではなく、他の人が知識を共有して、この時期に他の家族が食事をするのを助けてくれることを願っているからなのです。

アンジェラ・ボーミク

マサチューセッツ州

 

何物にも代えがたいつながり

 もう何年もオンラインで貴誌の記事を読んでいます。私たち夫婦は、子供たちが田舎で育ち、自分たちが子供の頃にしていたように、自分たちで食べ物を育てるために「小さな農園」に引っ越しました。持続可能性を常に念頭に置いていますが、私は商業作物を栽培する農家の家系なので、菜園をあまり耕さずに有機栽培をする私の努力を父がどう思っているか、いつも少し心配していました。父は私が 2 歳になる前に亡くなりましたので、私は父のことを覚えていません。正直なところ、田舎に戻って子供を育てるのは、父とのつながりを期待してのことでした。そんなある日、母が訪ねてきて、私のパソコンに貴誌のホームページが表示されているのに気づきました。母は、「あら、マザーアースニューズだわ。久しぶりに見たわ。お父さんがよく買っていた雑誌だわ」と言っていました。そして、私の知らないことをたくさん教えてくれました。父は郡の土壌・水保全委員会のメンバーだったこと、この地域で初めて不耕起ドリルを使って植え付けを行ったこと、動物や土壌の健康を大切にしていたことなどです。持続可能な農業を目指す私を馬鹿にしていたのではないかと心配していたことを話すと、母は私を抱きしめ、父がとても誇りに思ってくれるはずだと言ってくれました。この言葉がどれほど心に響いたか、言葉では言い表せません。

 私は、貴誌が自分にとって初めて郵便で届くのをとても楽しみにしています。たわいもないことですが、私が愛していても知る機会がなかった人とのつながりを与えてくれることは、何物にも代えがたいものです。それを貴誌に聞いていただいても良いのではないかと思ったのです。貴誌が身近に存在してくれて、活動してくれて、ありがとう。感謝しています。

ケイト・オーバーペック

インディアナ州ガストン

 

 

カナダヅルの横断注意

 ハンクさんの敷地内にいる大きな「七面鳥」についての手紙(20212 月・3 月号のマザーからのニュース)を楽しく読みました。私たちの近所には一年中カナダヅルがいます。あまりにも多いので、道路に看板を立ててドライバーに注意しなければならないほどです。幸運なことに、新しい親が赤みがかった黄色のモコモコしたヒナを私たちの菜園に連れてきてくれるんですよ。

ドン・シャンク

フロリダ州ロングウッド

 

マザ小さな農場、大きなインパクト

 私たちの旅は、少女時代にアパラチアの丘陵地帯でおばあちゃんと過ごしたときに始まりました。おばあちゃんはお金はありませんでしたが「物」はすべて持っていました。そこで私は、ガーデニング、石鹸や薬、チンキ剤の作り方、そしてキルトを学びました。おばあちゃんの家の周りの道は、小さな山で収穫されたフラッグストーン(敷石)でできていました。その道を歩いていると、花がたくさん咲いていて、敷石が見えないほどでした。色とりどりのジャングルのようでした。彼女の家庭菜園は、まるで雑誌から飛び出してきたようで、シンプルなものでした。彼女は実用主義者で、家庭菜園の目的は食べ物だけでした。

 年齢を重ね、自分の子供を持つようになると、そうした思い出や、ガーデニングの重要性、自分の食べ物がどこから来るのかを知ることの大切さが頭の片隅に残りました。それは私の使命であり、旅でもありました。5 年ほど前、父さんが病気になりました。糖尿病性の脳卒中で片足を失ってしまったのです。私たち夫婦は、私が生まれ育った小さな農園の近くに引っ越すことを決め、道路を挟んだ向かい側に 5 エーカー(20 千平米)の土地を購入しました。残念なことに、父さんは私たちがそこにたどり着くまでもちませんでした。新しい土地からは、道路の向こう側にある母さんの家を眺めたり、父さんと一緒に植えたミニ果樹園を楽しんだりすることができました。

 新しい土地では、まず屋外での活動を始めました。私はニワトリのいる家で育ったので、ニワトリが必要でした。私たちは鶏舎を建てました。次の大きなプロジェクトは、ビニールハウスです。栽培期間を延長したかったし、自分の種を蒔く場所も欲しかったのです。遺伝子組換えの種や苗、市販の苗に含まれる化学物質には抵抗があるので、我が家の小さな農園にはビニールハウスが必要でした。ネットでいろいろ調べた結果、夫は自分で一から作りたいと言い出しました。3 年目にはビニールハウスが完成しました。ビニールハウスの床にはウッドチップを敷き詰め、上げ床も設置しました。土壌には粘土が多く含まれていたので、泥だらけになってしまいました。2 年間、私たちは地上でのガーデニングを試みました。自分ではそこそこの菜園家だと思っていたので、失敗したときは自尊心を傷つけられました。パーマカルチャーの原理を学んでいた私は、上げ床が必要だと考えました。「Back to Eden Gardening」の手法を用いて、40 以上の上げ床を作りました。この地域には野生動物がいるので、柵で囲わなければなりませんでした。

 次の課題はヤギでした。私はヤギを飼いたくありませんでした。ヤギを柵で囲うのがどれほど大変かという話を聞いていたからです。私はこの葛藤で敗れました。私たちはヤギ舎を建て、子ヤギを 3 頭購入しました。

 4 年目には養蜂の準備が整いました。地元の養蜂クラブに入会し、講習を受け、ミツバチを購入しました。ハチミツの効果を知っていたし、果樹園や菜園に花粉媒介者を必要としていたこともあり、次のステップとして当然のことのように思えたのです。

 私たちのミニ農園は、まだ始まったばかりです。今年は素晴らしい菜園ができたので、それに感謝しています。私たちの最大の喜びは、この情熱を孫たちに伝えられることです。3 月には「Cousins Camp[孫たちみんなを招いて楽しい思い出を作る祖父母主催のキャンプ]」を開催しています。孫たち全員がビニールハウスに来て、種まきをします。植木鉢に絵を描いて、そこに種を植えて持ち帰ります。夏には菜園に出て、果物や野菜をつるから直に採って食べます。蝶や蜂が受粉する様子も見られます。私の孫たちへの目標は、自分たちの食べ物がどこから来るのかを知ってもらうことです。

 将来的には、アヒルや羊、七面鳥などの飼育を計画しています。また、菜園の拡大も計画しています。私は、他の人たちに刺激を与えることができればと思い、私たちの旅についてブログを書いています。私たちは、このライフスタイルと、自給自足の伝統を受け継ぐことを固く誓っています。私たちのミニ農園は、全米野生生物連盟の「Pollinator Partnership」の一員でもあり、オオカバマダラの Waystation(立ち寄りスポット)として登録されています。

シンシア・ファッケンダ 

メールにて

 

レシピを有り合わせで

 

 マザーアースニューズを読む楽しみのひとつに、レシピを試すことがあります。202012 月号/20211 月号の 28 ページに「パンプキンのコーンブレッド」のレシピが掲載されていました。私は 2020 年の菜園のカボチャが余っているので、カボチャの新しいレシピを探しています。

 

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