地元のオリーブオイル

小さな一家族がオリーブを育て、自家製エキストラバージンオリーブオイルを搾り、大きなビジネスを築き上げました。

 

20 年以上をかけて、リア家はアリゾナの砂漠の小さな家族経営を100人を超える事業に育て上げた。PHOTO COURTESY QUEEN CREEK OLIVE MILL

 

アリゾナでは、オリーブの樹が街の通りに並びます。オリーブの樹は庭でよく育ち、駐車場ではわずかながら日陰の役割を果たします。春には豊かに花を咲かせ、秋には車の上や歩道、排水路に熟した果実を落とします。オリーブの樹はあまりにも当たり前にあるため、花粉でアレルギーが激発する四月を除き、アリゾナ住民にほとんど気付かれないほどです。アリゾナではオリーブの樹を容易に育てることができるのでオリーブ農家がたくさんいるとお思いでしょう。しかし、「ユマでは僕と他に3人だけだよ」とペリー・レアは言います。

 夫婦でチームのペリーとブレンダ・レアは、アリゾナで唯一稼働しているオリーブ農園と搾油所、Queen Creek Olive Mill(クイーンクリーク・オリーブ・ミル)を共同で創業し、営業しています。20年かけて家族経営から、百人を超える従業員を抱える事業にまで成長させました。夫妻の100エーカー(約122,400坪)の農園は、中心街フェニックスから約6.5km南東のクイーンクリークバレーに位置し、南西にサン・タン山地、北東にスーパースティション山地が囲っています。干上がった小川や浅瀬が蛇行して抜ける、広大で平坦な谷間には、一年の内に太陽が330日照りつけます。日照りのない日は、年間降雨量2,300mmの貴重な雨が谷に恵みをもたらします。

 砂漠地帯で作物を豊かに実らせるには多大な注意を要しますが、オリーブは別です。砂漠を好むオリーブの樹は、クイーンクリークバレーでは成長が早く、しっかりしています。質の良いオリーブオイルを産出するには、オリーブの樹にある程度ストレスを与えなければなりませんが、アリゾナの気候はまさにそれを与えてくれるのです。ええ、極めて乾いた気候なのですが、乾燥状態はバーティシリウム萎凋病やカビを弱らせます。オリーブミバエは夏の猛烈な暑さには耐えられないため、農薬の必要がありません。オリーブの樹はわずかな雨でも生き延びることができますが、ふっくらとした実をたくさんつけるには、戦略的な灌漑が必要です(レア夫妻はマイクロスプリクラーと点滴灌漑を使っています)。数か月間、夜間の低気温が続き、時折凍てつく寒さがくるアリゾナの短い冬は、芽吹きに必要な春化を与えてくれます。

 オリーブの樹の栽培は、レバントの砂漠(今日のトルコとシリアの国境付近)で数千年前に始まりました。スペインの宣教師が、オリーブの挿し木を1700年代に現在のカリフォルニアに紹介したのではないかと言われています。そして、これが恐らく今日の「ミッション [布教]」品種の祖先で、スペインからの不明品種の苗としてペルーに姿を現したのだろうと。このいわれが正しいか否かは別にしても、何者かが地中海原産のオリーブを新世界に運んできたことは確かです。1840年代の記録には、見捨てられたミッションと、古い、放置されたオリーブ園がなおも力強く育っていたと記載されています。19世紀後半までには、オリーブはカリフォルニアで商用作物となりました。それとほぼ時を同じくして、アリゾナでの初期のオリーブの樹が、砂漠への適応性を研究されるべく、アリゾナ大学ツーソンキャンパスに紹介されました。次第に、オリーブの樹はあらゆる都市に(主に)観葉植物として広がりました。残念ながら、花が咲く時に出る大量の花粉のため、近年では都市部に雄のオリーブの樹を新たに植えることをやめたところも出てきています。

 

栽培しながら習得

 レア夫妻は、20年にわたり、栽培しながらオリーブの栽培の仕方を覚えなければなりませんでした。農業経験がなかったため、まずカリフォルニア大学デービス校でオリーブ栽培の講座を受講しましたが、カリフォルニアでの栽培方法はアリゾナには必ずしも適さないことに、は早々に気付きました。20年前、穀物、綿花やアルファルファに主眼が置かれている中、夫妻はアリゾナ大学生涯学習センターのスタッフとも関係を築いていったのです。

 誰の助けも得られずにどうやって地元で栽培するノウハウを培ったのでしょう。「試行錯誤の連続でしたよ」とペリーは認めます。「毎年何かしら新しい学びがある。年々僕たちも上手くなっているよ。今でも間違いはするけど、前の年よりはましな間違いさ。」ペリーは、栽培技術、灌漑、また(冷気が、やがて果実となる花のつぼみのなり具合にどのような影響を及ぼすか)に関して膨大な記録を残しています。木の組織標本を採って分析もしており、次の生育期間に向けて土に何を施したらよいかを判断しています。

 

様々な品種のミックス

 ペリーは毎年新しい木に挑戦しているため、品種に関する記録もあります。クイーンクリークのオリーブ農園は現在7,200本以上もの木が16品種にわたってあります。最も古い木は「ミッション」で、スペインの宣教師たちが開発したと言われている前述のカリフォルニア品種です。「ミッション」は非常に耐寒性があります。アリゾナの生産者は、12月中旬にやってくる寒気の前に核果を収穫しますが、低い気温は翌シーズンの結実に影響を及ぼすため、耐寒性を考慮しなければなりません。マイナス9.4℃の厳しい寒さが一日以上続くと、木自体にダメージを与えます。運よく、レア夫妻はこの問題にぶつかったことはありません。「20年間で僕たちが経験した最も低い気温は、午前5時前後の数時間のマイナス5.6℃だけだよ」とペリーは言います。

 その他、クイーンクリーク農園の大半は、刺激と苦みのあるオイルとして知られる「コロネイキ(Koroneiki)」というギリシャの品種(ペリーのお気に入り)や、「ペンドリーノ(Pendolino)」、「マウリーノ(Maurino)」や「フラントイオ(Frantoio)」といったイタリアの品種です。

 耐寒性はさておき、レア夫妻が多品種を育てているのは、オイルを調合して独特の風味ある自家製オリーブオイルをつくるためです。このために、レア夫妻はオリーブオイルの認定ソムリエになりました。国際オリーブ協会(IOC)で広く認められている世界でほんの一握りのソムリエに加わったのです。調合は、「ミッション」は「まろやか」で、「フラントイオ」は「果物の風味」といったように品種に割り当てられた大まかな味の分類を考慮するだけではありません。収穫時期によってオリーブオイルの味は大きく変化します。2~3か月かけてオリーブは木で熟し、緑色から紫色に成長します。ペリーの説明によると「刺激があり、ハーブのような、苦いオイルが欲しい時は、オリーブが緑色に熟した時に収穫します。リッチで、バターのようなオイルが欲しい時には、木で実が黒ずむまで待ちます。」緑色に熟したオリーブからはあまり油は搾れませんが、最もポリフェノール(抗酸化物質)を含み、日持ちもします。

 

搾油方法

 収穫は通常10月中旬~12月中旬に行い、他の農家同様、レア夫妻にとっても忙しい時期となります。オリーブ農園の一部は、昔ながらの熊手を使った手作業で収穫され、それ以外は機械で収穫されます。IOCのエキストラバージンオリーブオイルの基準を満たすには、オリーブを24時間以内に搾油所で低温圧搾しなければなりません。搾り取れる油の量は品種や収穫時期にもよりますが、1トンのオリーブからは大体75~150リットルの油がとれます。エキストラバージンオリーブオイルは、日光や酸素を遮断するタンクに貯蔵しなければなりません。一年を通してこのタンクから引き出し、レア夫妻は6週間に一回オイルを調合し、3週間に一度瓶詰めしています。鮮度を保つために、瓶は搾油所の棚に2週間以上は置かれません。

 収穫後もオリーブ農家には休みがほとんどありません。アリゾナの長い生育期間は、植物が生い茂るのを促すために、木が眠る冬の間(通常12月中旬から2月中旬)に剪定することが大事になります。強剪定は、翌シーズンに果実が生るのを促しますが、人手を要し、大変生産コストのかかるものの一つとなります。

 コストを抑えようと、世界中のオリーブ生産者はもっと密に植えることを試みています。伝統的な農園では、畝間約9mに、株間約9mを空けて植えられます。レア夫妻が農園を始めた時も、伝統的に植えました。今日、とりわけコロネイキ品種に関しては、「植栽密度 中 (medium-density planting)」を試しています。木を生垣のように密に植え、収穫機が入るよう畝間を十分にとっています。株間を約2.5mにし、畝間3.6mで植える植栽形式です。

 

観光農園

 ペリーによると、アリゾナでオリーブを植え、育て、収穫するのは割と簡単だけれども、「マーケティングは難しい」ようです。レア夫妻は、植え付け、剪定、水やり、収穫、搾油と最初から最後まで農園を訪問者に開放しており、その数は毎年50万人に上ります。「僕たちは観光農園としては本当に運がよかった」とペリーは言います。

 レア夫妻は、規模を小さく、オリーブオイル製品数種と農園の一般見学会で始めました。次第に、土地の納屋を搾油ビルに改装し、訪問客から近隣にお食事処がほとんどないとの不満の声が上がっていたため、パニーニメーカーとジェラートフリーザーを追加しました。今では敷地内にフルサービスのレストランがあり、結婚式やパーティーにも貸しています。観光農園としての繁忙期は、アメリカ北部やカナダからの避寒客がアリゾナに引き付けられる冬です。訪問客に向けて、1月のカナダウィークも含め、特別なイベントを1年中開催しています。オリーブオイル以外にも、タプナードやパスタのソースといったオリーブオイルを使った製品も幅広く販売しており、その他様々な地域の品々も販売しています。ブレンダはオリーブオイルを使ったボディーケア製品を開発しました(下記「オリーブスパ (Olivespa)」参照。)

 この数十年でレア夫妻はクイーンクリークの町が急速に成長したのを見てきました(中心街から8km程しか離れていません)。町の著しい成長に関していえば、クイーンクリークの経済開発委員会 (Economic Development Comission) は、約9.7坪(242エーカー)をアグリテインメント地区として指定しています。ペリーは委員を務め、近隣のもう一軒の農家と共に、地区を農業目的に保護し、保存されるよう提案することに尽力しました。「町の一部が観光農園として確保されるところは珍しい」とペリーは指摘します。新しい地区は、観光客だけでなく、地元産の健康的な食べものや自分たちの食べるものを育ててくれる農家に会うことに関心のある地元民をも引き付けています。

 アリゾナの農家の数は増えています。地元のものを食べたい人には嬉しいニュースですが、アリゾナの農家がなぜオリーブを育てようとしないのかは、謎のままです。ペリー・レアにもわかりません。もしかしたら初期費用が問題なのかもしれません。(灌漑設備は値が張りがちです。)あるいは、オリーブの樹が既に州の至る所にあり、人は馴染みのものを見過ごしがちであるからかもしれません。多分、オリーブにもチャンスがあることを掲げる、力のある人がほとんどいないからでしょう。

 クイーンクリーク・オリーブ・ミルに話を戻しますが、米国で消費されるオリーブオイルの大半を輸入に頼っている中、ミルの収量は年々増え続けています。近くのフェニックスやツーソンでは、熟した食用核果が、道路や歩道に降り注ぎ続いています。毎年秋になると、地域の何人かがこのオリーブを採り、何トンもミルに運んできます。これをレア夫妻は少なくとも果実300パウンド(約136kg)を無料で搾油しています。出来上がった自家製オリーブオイルは、採ってきた人と半々にして分けます。

 ちょっと想像してみてください。エキストラバージンオリーブオイルが無料で、しかも地元の産物だなんて。そんな贅沢に、私たち多くは指をくわえるばかりです。

 

オリーブスパ:オイルを基にしたボディーケア

 クイーンクリーク・オリーブ・ミルで急成長している製品ラインは、オーナーであるブレンダ・レアのオリーブオイルを基にしたバスやボディーケア製品で、「オリーブスパ」ブランドで販売されています。全ての製品には、ミルのオリーブオイルが含まれます。その他の材料はといえば、蜜蝋、シアバター、ココナッツオイル、精油と海塩のみです。

 レア一家がアリゾナ州に引っ越してきたばかりの頃、子どもの一人が慢性的な肌荒れになりました。ブレンダは、一般的にオリーブオイルでつくられるカスティール液体石鹸で苦痛が和らぐことに気が付きました。そこで、搾油所からストレートのオリーブオイルを自分の身体に塗るようになり、そのうちにボディークリーム、リップバームや石鹸を自宅のキッチンでつくりはじめるようになりました。自宅でつくることに大成功すること数年、ブレンダはミルの製品ラインに取り入れることにしました。彼女と娘のジョイーは、従業員もう一人と共に、各製品を小ロットずつ手づくりしています。

 オリーブスパの製品は、エキストラバージンオリーブオイルしか使いません。なぜなら、ポリフェノール(ポリフェノールは抗酸化物質)とスクアランを含み、肌を潤し、ハリを出してくれるからです。保存料は添加されていないので、天然オリーブオイル同様、やがて臭ってきます。

 

レベッカ・マーティンはマザーアースニューズの編集者です。カンザス州ゾーン6の自宅の裏庭にあるオリーブの木々が冬を越してくれることを願っています。

 

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Local Olive Oil

By Rebecca Martin | December 2017/January 2018