福岡正信:日本の有機農家

マザーアースニューズ 福岡正信 自然農

今回のプローボーイ(耕す男)・インタビューでは、30 年以上にわたって耕さずに米・麦・柑橘類の栽培で成功をおさめてきた自然農法の提唱者、福岡正信を特集する。

 

1982年7/8月号

(原文)Masanobu Fukuoka: Japanese Organic Farmer

  

文:マザーアースニューズ 編集部

翻訳:浅野 綾子

 

今回のプローボーイ・インタビューでは、40 年にわたり自然農法を守りつづけてきた福岡正信を迎える。

 

灰色がかった白髭、抑制のきいた声、昔ながらの東洋の作業着を身にまとった福岡正信は、成功した革新的農家によくいそうな人物には見えないかもしれない。それに一見したところ、稲が植えられた福岡の田んぼ(からみあった雑草とクローバーと稲が伸び放題でいっしょくたになっている)が、日本で有数の収穫量を誇る田んぼにも見えない。しかし、それもこれもすべてはこの男とその自然農法にまつわるパラドックスのうちだ。

 日本の南にある島、四国は松山の湾を見晴らす山で、フクオカさん(「さん」は日本語の伝統的敬称)は第二次世界大戦後から米や麦や柑橘類を栽培してきた。時代遅れと(さらには馬鹿げたとさえ)考える人がいるかもしれない手法をもちいてだ。しかし、福岡の田んぼからは、労働集約的で化学物質に依存した栽培方法を用いる近隣農家の収穫量と同等か、それを凌ぐ収穫量が継続的に得られている。福岡の栽培システムが驚異的なのは収穫量だけでなく、30 年以上も自身の田畑を耕してこなかったという事実である。また、化成肥料はもちろん、堆肥さえも田畑に投入せず、畝の除草も、稲の田んぼの湛水もしない。

 読者もご存じのとおり、この日本の農家は骨身を削る研究をとおして、自然に対する自身の深い共感を反映した農法を見つけだした。従来の科学知識の枠をこえて思考を広げ、生命の流れが本来宿している知恵を信頼することで、農作物の栽培について知るべきことがすべてわかると福岡は信じている。福岡は言う。自然のサイクルを征服して「飼い慣らす」ことを試みるのではなく、そのサイクルを注意深く観察してそれに合わせて作業すべきであると。

 この哲学にもとづいて農作業を続け、フクオカさんの田畑には、どの生態系にも本来その一部としてある多様性と植生遷移がみられる。春には麦の中に籾種をまき、、、年もおわりに近づくと実った稲の株間に麦種をまく。クローバーとわらのグランドカバーが作物の足元に広がり、雑草を抑えて土を豊かにしている。さらにこの農の達人は、山腹にある自身の果樹園で、剪定されていない果樹の下に野菜を野性的に育てている。当然のこととして、このような型破りな田畑は従来の農学者の目にはどうみても失敗にしか見えないかもしれない。でも、疑いの目でみる見学者に福岡が言うとおりだ。「私の手法が確かなのは、目の前で実っているものを見ればわかるじゃありませんか」

 長年、この東洋の紳士の独特な考え方は地元に住む少数の人にしか知られていなかった。しかし福岡は 1975 年に「自然農法 わら一本の革命」と題した本を著した(後にアメリカでも出版されている)。以来、農業に対するこの奇妙で「新しい」考えをもっと知りたいと熱望する団体からの要請が引きも切らない。1979 年、フクオカさんはアメリカへの大規模ツアーを引き受けた。大学での連続講義のためマサチューセッツ州アマーストに滞在中、自然農法の弟子であり、「自然農法 わら一本の革命」の編集者であるラリー・コーン (Larry Korn) と数時間にわたり対話した。この対話はすべて日本語で行われ、のちに翻訳された編集版が本稿だ。

 ところで、以下の福岡の発言には何度か明らかに矛盾した箇所があり、それに対してとまどいを覚える読者がいるかもしれない。この点については、福岡は筋の通らない言説やつじつまがあわないように思われることをわざと弟子に言う哲学者に似て、人が決まりきった思考パターンを打ち破り、新しい考え方を生み出せるよう促しているのかもしれないと考えればよいだろう。自然農法の実践はこのように変わった考え方を求めるため、自然農法は気弱な人や怠け者にはむかないとフクオカさんは釘を刺す。「私のやり方は、現代の農業技術の完全な否定です。科学知識や長い間行われてきた耕作技術の知識を窓の外から放り投げてしまうんです」この革命的な(そして時に困惑させられる)大変動が残したものは、もっと単純で自然な農業のやり方が根ざす光景を見たいと願う誰をも夢中にさせ、その心を揺さぶるにちがいない。

 

絵をかいていらっしゃるんですね、福岡さん。… 何の絵ですか。

 

山の風景をかいたものです。詩もあります。

山のふところ奥深く おだやかな魂はたずねる

だれのためこの野の花は咲く

それはきつねやあらいぐま

この地にふく松風と

谷川の精霊を知るものたちのため

 

この詩が何を意味するのか教えてもらえますか。

 

そうですね、この「おだやかな魂」が何を意味するかはいろいろ考えられます。人 … 、花 … 、木 … 、草だとも言えるかもしれません。なぜずっとひとりで山奥に住んでいたのかとこの魂に聞けるなら、こう答えるんじゃないでしょうか。「ここにいるのは誰のためでもない。きつねやあらいぐまの声を聴いたり、話をしたり、一緒にいたり … 、ただそれだけのこと。それがここにいる理由」だと。

 

絵にかかれているのは福岡さんですか。

 

私にしましょう!

 

福岡さんの絵や農業への取り組み方をみれば、福岡さんが自然の近くにいることを大切にしていることがはっきりわかりますよね。田舎で育ったのですか。

 

ええ。ありふれた田舎の家に生まれた、普通の田舎の少年でした。小さな村の指導者的立場にあった父は、地主であり農家でした。地元の他の子供たちと同じように育ちましたよ。学校へ行き、父や近所の人たちの田んぼを手伝っていましたね。

 

学校を終えてすぐに農業をはじめたのですか。

 

いいえ。はじめは微生物学と植物病理学を学ぼうと特別な専門学校へ通いました。それから農業税関事務所 [税関の植物検査課] の検疫官になるために横浜に引っ越しました。私の仕事は日本のミカンとアメリカのオレンジの検査と研究でした。さまざまな植物の弱点や病気についてたくさんのことを学びました。研究の仕事は本当に楽しかったですね。でも、25 才の時ですが、心に変化、そして考え方にも変化が起きて、それ以来私の人生はまったく違うものになってしまいました。

 

そのことについて教えてもらえませんか。

 

何というか、多くの若いひとたちと同じように、私は人生について大変深刻に、重々しく考えていました。そうやって物思いにふけると、人間のありさまについての疑いが次から次へと浮かんできました。疑いが浮かんでくるのに加えて、この物思いの時期に大変な病になってしまったんです。しばらくは本当に良くなるのかどうかわからない程でした。

 ついに病が治った後、眠れぬ夜を何晩も、通りをぶらついて過ごしました。そんな夜を過ごして迎えた朝のことでした。まるですべてが頭の中で爆発してしまいそうに思われた朝でしたが、直感的にひらめいたのです。突然、人間の存在は一切無意味であり、人間自体に固有の価値はないと感じました。人間は本当に価値のあることは何も知らない、人間が起こす一切の行動は役に立たない、無駄な努力だとはっきりと思い至ったのです。自然は理想的な姿に配列され、そのままで豊かなのだともわかりました。… その結果、人間は自然を征服して「改良」しようとするのではなく、自然の秩序に調和すべきだと確信したんです。

 これが突拍子もなく聞こえることはわかっています。でも、こうした考えを言葉にしようとすると、そのように聞こえてしまうようなんです。このひらめきは、他の人に簡単に説明できるようなものではなかった。

 

なぜ簡単に説明できないのでしょうか。

 

私と同じような経験がある人なら直感的にわかるでしょう。… でも、わからない人、わかろうともしない人たちに言えることは何もないんです。たとえば、あなたは幽霊みたいなものがいると思いますか? 幽霊を見たことはありますか? [微笑みながら、インタビュアーの肩越しを指さす] 見えなかったですか? 幽霊を見たことがない人は、幽霊がいるとは普通信じません。でも、そうした経験がある人はこの現象をまったく疑わないんです。ですから、幽霊を見た経験がある人には、わからせようと話をする必要はないんです。

 

この考え方の変化は人生に影響しましたか。

 

すぐに税関の仕事をやめました。その後の 1、2 年は日本中を旅してまわりました。人と話をしたり、今までにしたことのない経験をたくさんしようとしたりしました。山の中でキャンプをすることもありましたし、温泉の近くでキャンプをすることもありました。町にいる時はいつもお寺や公園で寝泊まりしていましたね。… 田舎にいる時は農家の家に泊まって、田畑を手伝っていました。実のところ、自分のひらめきから得た新しい考え方を日本中に広めようとして放浪をはじめたんです … 。でも、人間の存在が無意味であることについて話をしても、私が伝えようとすることに誰も関心を示しませんでした。変人だと無視されました。それでついに、自分の考えをわかってもらうためには、何か実際に具体的な方法で示さなければならないと思い至ったんです。当然といえば当然ですが、自分の考えが正しいと私自身を納得させるためにもそれが必要でした。

 農業はすべての職業の中で最も価値があると信じていたので、故郷の村へ帰って農家になろうと決めました。人間の知恵は役に立たないという自分の考えを農業にあてはめられるか見てみたいと思いました。そうすれば私の言うことがわからない人たちがいても、外の田んぼや畑に連れて行って、この考えは真実なのだとはっきり見せることができると思ったんですね。

 

それ以来農業を続けているのですか。

 

ほぼですね。第二次世界大戦中、高知の農業試験場に送られ、そこでは自分の科学的なバックグラウンドに頼らざるをえませんでした。戦争が終わってからでしたが、嬉々として山に戻り、農家としての人生を再び歩みはじめました。

どのくらいの広さから始めたのですか。

戦争の後、日本で農地解放という大規模な土地改革がありました。その改革では父のような大地主はほとんどの所有地を失いました。父はその後すぐに亡くなり、私には 0.1 ヘクタールほどの小さな田んぼが残されました。

 

すぐに自然農法をはじめたのですか。

 

戦争の前に、父のミカンの果樹園の一部ですでに実験をはじめていました。自然のままに成長させるには、私の方でまったく手を入れないで木が育つようにしなければならないと信じていました。ですから、農薬散布も、剪定も、肥料も … 、何もしませんでした。そして、当然のことながら、果樹園の木のほとんどは害虫や病気でだめになってしまいました。

 問題はですね、私は自然農法をせずに、怠け者農業とでも呼ばれるような農法をしていたということなんです。仕事を全部自然にまかせ、最後には全部うまくいくだろうと期待して、完全に放っておいた。でも間違いでした。果樹園のミカンの若い木は人間によって栽培植物化され、植樹され、剪定され、育てられていました。果樹園の木は人間の奴隷になるようにつくられていたために、農家という人間の手による助けが突然なくなると生きていけなかったんです。

 

というと、成功する自然農法とは、ただ何もしないという手法ではないということですか。

 

はい。実際には、自然本来のはたらきに自分の考え方をできるかぎり近づけるというプロセスが必要です。ですが、気をつけなければなりません。この手法は、すでに持っている園芸についての科学的な知識を、いきなり全部棄ててしまうことではありません。このやり方はただの放任です。というのも、変えられてしまった生態系に人間が押しつけた、依存のサイクルを無視することになるからです。農家が自分の「飼い慣らされた」田畑を完全に自然にゆだねてしまえば、間違いや破滅は避けられません。

 真の自然農法の道をすすむには、不動の自然が何かを知る必要があります。そうすれば、自然の秩序と調和して作業するには何をすることが必要で、そして何をしてはいけないのか、直感的にわかるのです。

 

そのような姿勢は当然、「操作する・支配する」という確立された現代農業の基礎を否定しますよね。従来の農業を学んだところから、どのようにして従来とはちがう農業の発想に至ったのですか。

 

若い頃、村の農家が全員で、湛水した田んぼに苗を田植えする方法で稲を育てていたのを見ていました … 。でも、それは稲が自分で育つ様子ではないとついに気づいたんです。それで、従来の農法はわきに置いて、自然の稲のサイクルをただ観察しました。野性の状態では、稲は夏の間に熟していきます。秋になると葉は枯れ、稲は頭を垂れて籾種を地面に落とします。春になって雪がとけると籾種は芽を出し、成長のサイクルが再びはじまります。言いかえれば、稲の粒は耕していない土の上に落ち、芽を出し、おのずから育つのです。

 この自然のプロセスを観察して、水をためた田んぼに田植えをするという従来の方法は不自然そのものだという見解に行き着きました。また、あらかじめ作った堆肥で田畑を肥やし、耕し、きれいに除草するという一般的な作業は完全に必要ないのではないかと思いました。それでこの時以来、私の研究はすべてこれをしない、あれをしないという方向性になりました。この 30 年の経験が、ほとんど何もしなければ多くの農家が良い結果を得られただろうと教えてくれたのです。

 人は傲慢さと無知から、自然には人間が継続的に手助けすることが必要だと考えがちです。ですが、真実は、人間がそんな「手助け」をしない方が、実際自然はうまくやるということです。田畑が健康な状態で、人間の手が入っていなければ、自然な「邪魔をしない」農業が現実化する可能性がうまれます。でも、私のミカンの果樹園でわかったように、このような状態が突然生じることはあり得ません。日本やその他の農業国では、土地は何十年も機械で耕されてきました。… それより前は牛や馬で掘り返されてきました。このような場所では、ただ土を耕すのをやめて何もしないという姿勢を取り入れただけでは、最初はあまり良い結果が得られないでしょう。土が自分で回復するのを待ってやらなければなりません。そうなってはじめて、土に分解される表面の被覆やわらで地力を維持できます。

 

福岡さんの「自然農法 わら一本の革命」をよく知らない人たちのために、穀物や野菜や柑橘類を栽培する自然農法で福岡さんが守っている基本的な原則をもう一度話してもらえませんか。

 

まず、4 つの不動の原則に基づいて作業します。1 つめは不耕起です。… これは、土を掘り返したり、耕したりを一切しないことです。植物の根が成長したり、微生物やミミズや小動物が耕転したりすることで、土が自然に耕されるようにしています。

 2 つめの原則は、化学肥料を使わない、あらかじめ作った堆肥も使わないということです。よく考えもせずにこうした資材を使うことで、土に欠くことのできない栄養素が実際に排出されてしまうことがあり得るとわかったのです。そのままにしておけば、植物や動物の規則正しい生態によって土はその地力を維持します。

 3 つめの原則は、除草しないことです。耕起または除草剤によるかを問わずです。雑草は、地力を上げ、生物学的共同体の平衡を保つのに重要な役割をしています。… ですから、田畑を除草するのではなく、草をコントロールすることを習慣にしています。わらによる被覆や、作物に混植したホワイトクローバーのグランドカバー、一時的な湛水、この全部が私の田畑の雑草対策に効果を発揮しています。

 自然農法の最後の原則は、農薬を使わないことです。先ほど力を入れてお話しましたが、自然はそのままにすれば完璧な平衡を保ちます。もちろん、害虫や病気はいつもそこにあるんですが、普通は状態を良くするのに毒である農薬を使うほどではない。病気や害虫対策の賢明な方法は、健全な環境で丈夫な作物を育てることだと思います。

 私の栽培計画の流れに限ってになりますが、秋になるとライ麦と大麦の種を、それぞれの田んぼにただばら播きます。田んぼの稲がまだ育っているところにです。米を収穫してから 2、3 週間後、収穫した田んぼに稲わらをふりまいて被覆します。この 2 種類の麦は、大体 5 月 20 日ごろに刈り取ります。… ですが、この麦が完全に熟す 2 週間ほど前に、麦の上から籾種をまきます。ライ麦と大麦を収穫して脱穀したら、稲の苗を保護するためにそのわらを田んぼに戻します。同じ田んぼでホワイトクローバーと雑草も育てます。秋のはじめには、マメ科のホワイトクローバーを稲の間にまきます。雑草については心配する必要はありません。雑草は自分の種をわけなくまきますからね。

 私の所のような 0.5 ヘクタールの田んぼでは、1 人か 2 人で 2、3 日もあれば稲や麦を育てる作業の全部ができてしまいます。1 年中田んぼに水をいれておく必要はありません。… 堆肥も、肥料も、除草剤も、その他の農薬もいりません。… 田んぼを 1 センチたりとも耕さないんです。穀物を栽培するのにこれ以上簡単な方法はないんじゃないかと思います。

 柑橘類についてですが、家の近くの山の中でいくつかの種類を育てています。先ほどお話したとおり、私は戦後、小さな区画たった 1 つで自然農法を始めました。でも、周囲の耕作放棄地の場所を引き受けて機械をつかわずに世話しているうちに、だんだんと田畑が増えました。はじめは、地被植物としてホワイトクローバーを植え、雑草が戻るようにして、赤粘土の再生をしなければなりませんでした。日本のダイコンのような丈夫な野菜を育てて、天敵が来て害虫を捕食できるようにもしました。雑草とクローバーを茂らせて被覆した結果、果樹園の表土層はこの 30 年間でやわらかく、黒っぽくなり、ミミズや有機物で豊かになっています。今私の果樹園には、マツやスギ、梨の木が 2、3 本、柿、ビワ、サクラ、それ以外のいろいろな在来の木が柑橘類の木の間に育っています。窒素を固定するアカシアの木もあります。土を深くまで豊かにしてくれる木です。こうやって風よけになる背の高い木を植え、低い場所には柑橘類の木、地面には被覆できる緑肥を栽培したところ、簡単に世話ができて果樹園がそれ自体でうまく回る方法をみつけることにつながったんです。。。

 

本記事の後半は【 安心プラン 】+ 特別編集の記事(電子版)でお楽しみください。

 


(翻訳者の浅野綾子さんより)
訳して感じた個人的感想をのべさせてください。
この記事は、福岡さんの栽培方法について大まかに網羅的に、シンプルに、とてもわかりやすくまとまっていると思いました。

質問者の方が大変的確に質問されており、自然農法を知らない人、初心者にもとてもわかりやすく、陥りがちな誤解や疑問(他の農法との混同についてや、団子をただ投げるだけであるとか)
を払拭してくれる記事だと思いました。

また、自伝的要素から、環境問題、新しいこと・自分の信じることに挑戦するときの心構えについてがうかがえる話もあります。こうした農法で農業をおやりになる方が大変関心をもたれるであろう生計をどのように立ててきたかについても触れられています。
読みながら、
・福岡氏の自然農法に関心のある人
・無農薬無肥料栽培に関心のある人
・無農薬無肥料で農業をはじめたい人・現在農業をしている人
・環境問題に関心がある人
・自分にも、世の中にも、自然にもよい仕事をして生計をたてることに関心のある人

におすすめできる記事ではないかと思いました。

(編集者兼発行責任者の沓名輝政より)

福岡正信さんの思想は、特に海外で有名で、多くの方に影響を与えたようです。私は10年ほど前に、ビル・モリソンさんの「パーマカルチャー―農的暮らしの永久デザイン」(通称「緑の本」)を読み、福岡正信さんが紹介されていて知りました。

私は幼少の頃から、自然を手本にして考える癖があるので、福岡正信さんの思想に惚れました。また、日本国内で誰かか食べた果物のタネを募集して海外へ送って砂漠を緑に変えるプロジェクトがステキだなと思っています。

私は個人的に思想家として偉大だと思っていますが、具体的な農業手法で語られると、人それぞれ感じ方は様々で、実は、液肥を利用するのがキモという話もあり、容易にマネできないと考える人が多いようです。

ただ、何にでも言えることで、完全マニュアルなどなく、思想と原則を自己流に咀嚼して、自ら実践することが、大事なのではないでしょうか?

本記事では、福岡さんは、「私のした通りの手順で、自然を学びなさい」と職人の徒弟制度のように、まねてまなぶ方法を強調し、「科学的手法で、分離、単純化、分析をするな」と強く諫めています。科学のこの特性は、自然と対局にあるので、否定したくなるのでしょう。

いずれにせよ、福岡正信さんの思想には力があり、近年では奇跡のリンゴの木村秋則さんに大きな気づきを与えた話が有名です。