歴史と共にある園芸

マザーアースニューズ 自然 自給 DIY

野心的な園芸家は、有名なモンティチェロをはじめとする歴史的な博物館で、過去を掘り起こすことを仕事にしている。

文:アンドリュー・ウェイドマン(Andrew Weidman)

翻訳:沓名 輝政

 

 園芸家なら誰でも、夢の菜園、憧れの地を持っているものです。多くの菜園家にとって、その場所はモンティチェロです。トーマス・ジェファーソンのガーデンテラスを散策し、果樹園やブドウ園を南に見渡すことは、夢のようなことです。

 最近までパット・ブロドウスキーがヘッド・ベジタブル・ガーデナーを務めていたモンティチェロは、トーマス・ジェファーソンが設計した当初のデザインを再現しています。現代のスタッフはもちろんのこと、ジェファーソンの時代に基礎を築き、ほとんどの作業をしていた奴隷の人々の努力のおかげで、現在の素晴らしい景観が保たれています。

 バージニア州シャーロッツビル郊外にあるモンティチェロには、毎年50万人もの人々が訪れます。その中には、BBCの長寿番組「Gardeners' World」の司会者である英国の著名な園芸家モンティ・ドンなど、著名人も含まれています。この国定歴史建造物を訪れる目的は、第3代大統領ジェファーソンの邸宅と、アメリカで最も早い時期に園芸に影響を与えた人物の一人であるジェファーソンが設計した敷地を見学することにあります。ジェファーソンのプランテーションは、1700年代後半の最盛期には5,000エーカー(2千万平米)の広さがあり、100人以上の奴隷労働者によって維持されていました。ジェファーソンの豪邸に隣接する野菜と花の庭 園は、奴隷労働者の小屋の近くにある長さ1,000フィート(305m)の高台にありました。ジェファーソンは、特に晩年、積極的に庭に出ていました。

 最近では、モンティチェロの園芸家たちは、土を耕したり、堆肥を運んだり、豆やトマトの支柱を立てたり、間作のために育苗トレイに種をまいたり、鹿の被害を調査したり、修理したりしています。ブロドウスキーは、2009年から10年以上にわたり、キッチンガーデンの手入れをする義務と名誉を担ってきました。彼女の朝は、道具や植物をゴルフカートに積み込み、庭に何か損傷がないかをチェックすることから始まります。一日のチェックリストはいつも長いものでした。「休む暇もありません」と言います。

 しかし、すべてが苦しい戦いというわけではありません。モンティチェロの土壌は、信じられないほど美しく、生産性が高いのです」とブロドウスキーは説明します。4日経っても豆の芽が出なかったら、また植えれば良いだけのことです。ブロドウスキー氏によると、モンティチェロの山頂の微気候は、周囲のゾーン7の田園地帯よりも1つ上のゾーンの暖かさです。その地の上昇気流と太陽に対する向きのおかげです。また、30年にわたる堆肥化と土壌改良により、土壌は豊かになっています。その成果は、この庭を訪れる人には一目瞭然です。ブロドウスキーはヘッド・ガーデナーだった頃、散歩中のお客さんにおやつを食べてもらおうとチェリートマトを植えていました。何かを食べて、何か触覚的な体験をしてもらえれば、庭のことを思い出してもらえるからです」と彼女は言います。

 旅行者がおやつに食べなかった作物は、デモンストレーションに使われたり、ビジターセンターのカフェで提供されたり、種採りに使われたりしています。採られた種は他の史跡に配布されたり、家庭菜園用として一般に販売されたりしています。

 今日、モンティチェロの2エーカーの現代の菜園で栽培される野菜は、歴史的に正確であると同時に魅力的でなければならず、ヘッド・ガーデナーはその正確さを維持する責任を負っています。というのも、ジェファーソンは生涯を通じて農場や庭園の日誌を書いていました。日誌には、野菜や果物、花の品種、庭のどこに種をまいたか、季節ごとの天候などが具体的に記されています。モンティチェロで働いていたブロドウスキーは、これらの日誌を読み、さらに調査することで、多くの興味深い野菜を発見しました。例えば、ジェファーソンが栽培していた「ホワイトビート」は、ビートの根を形成してなかったことを知りました。18世紀末の園芸参考書を調べて、ジェファーソンの「ホワイトビート」が現在のスイスチャードと同じものであることを発見したのです。 何十年もの間、モンティチェロの菜園から姿を消していたスイスチャードですが、現在はモンティチェロの敷地内で栽培されています。。。

 

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