ウェンデル・ベリーにインタビュー:実用的な詩

マザーアースニューズ ウェンデル・ベリー 農

 この偉大な思想家の知恵は、まるで 50 年前と変わらず

大きな感銘を与えます。

 文:マザーアースニューズ編集スタッフ 

翻訳:金広 まさみ

 

読者の皆様、雑誌として 50 周年を特色づけるために、私たちのアーカイブからより重要な物語のいくつかを再掲しています。このインタビューは、もともと 1973 3 / 4 月号に掲載されました。ウェンデル・ベリーは、ケンタッキー州で生まれ育った詩人、農家で文化批評家です。1965 年以来、自分の農場レーンズ・ランディング (Lane’s Landing) で生活し耕作に従事してきました。そして 2010 年米国人文科学勲章 (National Humanities Medal) を受章しました。—  マザー

 

ベリーさん、これまでかなりの間あなたはご自身の人生における農業の意味と、現代の世界に対するその重要性について書いてきました。ますます多くの人があなたの視点に同調しているようにみえます。小規模農業は、都会と農村の両方の生活の安定に寄与する実現可能で必要なものとして、ようやく再び受け入れられていると思いますか?

 どうでしょうか。菜園を育てることは重要だと最初に言い始めた時、私にとって本当に冒険的なものに見えました。農業を感性に基づいて擁護することができます。そして都市を出て田舎に入っていい空気を吸い、健康的な生活を送り、自分の野菜を育てるのは素晴らしいことだと言えます。それは本当に立派で素晴らしいです。しかし、そこから進んで、それを実施することで、とても実用的、道徳的で精神的に重要なことを学べると言うには  —  まだしばらくかかります。

 

 それにもかかわらず、多くの人が独立した生活という理想にお金と希望を注いで、農地に本気でかかわろうとしていますが。

 はい。しかし私には、彼らはあまりに純粋であろうとすべきではないように見えます。つまり、給料の良い仕事を  —  そして、ある種の職業の経験を積ませてくれるトレーニングも  —  見捨て、農業に立ち返り、多くの経験豊富な農家を打ち負かしていく状況下で生き残ろうとすること。自分がしていることをよく知っていて、若くないと、実施するには危険なことかもしれません。何か他の仕事で自分の農場を支えるのは価値があると思います。両手は 1 区画の土地に置き、人生のその部分は企業、空理空論家や愚者から離しておくのは価値があります。もし自分で進んで距離をおくつもりなら、現状よりもはるかに電力会社や機械に依存しない生き方がここでできるでしょう。

 

 安定した共同体をどう定義しますか? 

 お互いにたくさん話し、共同で経験している人が出始めました。定住農業共同体では、古い友人が一緒に働き始め、彼らがすることのひとつは、既に知っている物語を互いに再び話すことです。これは複雑な共同体の働きです。そのように古い知り合いを賛美し、彼ら自身を賛美します。互いに人生と歴史の現実に注意を呼びかけします。そして、それの効果は、ストーリーテリングにおいて物語を改良することです。

 

  多くの目的共同体 (intentional community) は、生活における儀式と日常の習慣的行為を復活させようとしています。

 しかし私は、運命と幸運と状況によって形成された偶然の共同体の結果にもっと興味があります。目的共同体は私には、かなり現実逃避的な考え、白人市民会議 (White Citizens’ Council) の新バージョンのようにみえます。それは、私たちが離れようとしているものだと思いました。目的共同体を持つことができるという考えは、目的のある人生を送ることができると言うのと同じくらい、ほとんど誤った方向に導くと思います。世間並の安定した共同体を持とうとしているなら、予期せぬ望ましくないことに対処する文化的社会的な様態を生み出さなければなりません。目的共同体の考えは、「隣人を自分のように愛しなさい」と言う時、出かけていき隣人を選ぶある種の権利があると想定しています。隣人を愛するという理想は、その人が愛したり好きになったり、我慢することすら大きな困難である誰かかもしれない可能性を引き受けなければならないと思います。

 

 著作の中で、地域の住民は老若の間の日々の交流で栄えると力説しています。しかし、これらの新しい共同体は主に若い人で作られています。

 はい。そしてそれが分離の最悪の可能性の 1 つです。これが多分、歴史を持たない最初の世代です。彼らは自身の非常に近い歴史を持っています。しかし周囲に年長の人を持つことから来るものではありません。以前に誰かが経験したという気づきなしで、成人期に達しています。まして彼らから何も学びませんでした。しかし、子供として祖父の記憶を持っていた人を知っています。それである意味、若者として年配者の思考がありました。彼らは、一種の面白味を持っていました。

 人類には、若者の各世代が再び始めるという一種の贈り物があります。彼らは、何が望ましいかを肌感覚でわかり、「自由だと素晴らしいだろう」と。そして社会の高齢者の機能は、反対することではなく、表現を修正することです。「ええ。自由なのは素晴らしい。ただ、君を驚かせる手厳しい要求をする自由を得る確かな方法がありますよ」と言って。 

 

 社会と経済が現在のところどのように組み立てられているかについて、皆があれやこれやで寄生していると認識すると失望させられます。

 皆がいる困難な状況から私の考え得る唯一の方法は、個人の独立という古い理想を奨励することです。他人へ配慮せずに行動したり、他の人無しで暮らせると想定したりするような独立を意味しません。自身に必要なものを何かしら手に入れたり、群衆の承認が無くても自分が正しいと思うことをしたりすることを可能にする独立を意味します。 それがトーマス・ジェファーソンが、土地にできるだけ多くの人を留めておく必要があると言った理由です。それは、民主主義に必要です。一区画の土地の所有と管理で人々の独立を可能にする方法でそれを保つ必要があります。

 

 若者の理想と目的がエネルギーを失っているなら、1 つの場所と 1 つの共同体への確固とした係わり合いを持っていないからです。彼らは相応しい共同体を見つけるまで漂流する傾向があると思います。しかし、どの共同体も相応しくないです。それら全部に多くの不都合があります。私は、私自身の共同体に定住しない完璧な理由を構築できました。事実は、ここにいる理由を構築することに人生を費やしているということです。

 

。。。(全文はバックナンバーを購入してお楽しみください) 

 

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Practical Poetry: An Interview with Wendell Berry

Mother Earth News Staff|  April/May 2020