おじいちゃんとおばあちゃんのレッドワトル豚

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マザーアースニューズの編集者が祖父母を訪ね、ユニークな伝統的豚種の保護に貢献したことを学んだ。

文:アマンダ・ソレル(Amanda Sorell)

翻訳校正:沓名 輝政

 

 私が子供の頃、祖父母はカンザス州のアルファルファ畑に囲まれた農場に住んでおり、後に風力発電所にも隣接するようになりました。広い空を切り裂く巨大な羽根を持つ風力タービンの横を通り、未舗装の道を進んでいくと、木造の農家の前に「Lazy S Farms(のんびりS農場)」の看板が見え、そこは素朴なベッド&ブレックファーストも兼ねていました。暖炉の前でふかふかの毛皮に寝転びながら本を読んだり、アンティークの多彩なコレクションを眺めたりして、私はこの旅を満喫しました。屋外では、小屋の中の馬、納屋の子猫、庭のニワトリ、そしてレッドワトル豚の運動場を訪れました。私は子豚が大好きでしたが、当時は子豚が何という品種なのか「子ブタ」「食用豚」以上の区別があるのか、全く考えてもいませんでした。

 祖父母のラリーとマドンナ・ソレル(Larry and Madonna Sorell)が、大都市の有名シェフの間で需要の高い特別な豚を育てていることが、私が10代の頃に TIME 誌で取り上げられたとき、その記事を読んで、豚がただの豚ではなく、そして祖父母がその仕事で高い評価を得ているという、考えたこともない世界を垣間見たのです。

 伝統品種に関する記事をよく掲載しているマザーアースニューズで働いて何年か経ってから、この記憶がよみがえったのです。ネット検索してみると、祖父のことを「伝統食ムーブメントの象徴、地の塩たる最も善良な人[新約聖書マタイ伝より]農家、レッドワトルの守護者となるべき運命にあった真の信仰者」と呼ぶ記事も見つかりました。これらの言葉を読んで、私は祖父母をミズーリ州の新しい農場に訪ね、この豚とその飼育の年月について、そして私の祖父母自身についてもっと知るべき時が来たと思ったのです。

 そして、2021年の夏、私たちは祖父母の家のポーチに座って話をしました。祖父母が互いに言葉を紡いでいき、私たち家族の歴史と、それがどのようにしてレッドワトル豚の歴史と重なり合うことになったのかという物語にまとまったのです。

 

レッドワトルのルーツ

 レッドワトル豚は、赤みがかった巨大な豚で、首の両側から肉垂がぶらさがっています。この「ワトル(肉垂)」という名前の由来は、役に立たないという説がありますが、本当のところは豚にしかわからないのかと思われます。上向きの鼻と立ち上がって端が垂れた耳は、この品種の魅力と言われる人懐っこい性格を表しています。「私はレッドワットルのおとなしいところが好きです。一緒に作業をするのがとても楽なんです。攻撃的でもないしね」と祖母のマドンナは言いました。

 The Livestock Conservancy(TLC)によると、この豚のおとなしさは小規模で独立した生産者に適し、採食能力に優れているため牧草地での生産に適しています。さらに、この丈夫な品種は幅広い気候に適応し、成長が早く、通常600~800ポンド(272~363kg)で成熟しますが、個々の豚の体重は1,200ポンド(544kg)に達することもあります。TLCのシニアプログラムマネージャーであるジネット・ベランジャ(Jeannette Beranger)は、「この豚は成長率が高く、商業用豚とほとんど変わらないので、家族のために豚を育てるだけでなく、豚肉の販売を考えている人には本当に有効な選択肢です」と語っています。

 しかし、レッドワトルホッグはTLCの「絶滅危惧種」リストに掲載されています。TLCによると、この豚の起源は不明ですが、おそらく1800年代半ばにメキシコ湾を通じて導入されたテキサス州の祖先までさかのぼることができるといいます。それから一世紀近く経った1980年代半ば、TLCは3つの別々のレッドワトル繁殖登録機関を統合しようと試みましたが、効果はありませんでした。1990年の個体数調査では、272頭のレッドワトル豚が登録されていましたが、1999年には6人のブリーダーから42頭が登録されるにとどまりました。

しかし、2001年、TLCは品種保存の努力を主張し続けて「絶滅の危機に瀕しているレッドワトル豚の回復と普及を目指す」組織、レッドワトル豚協会の設立を支援しました) 。現在、同協会には約100名の会員がいて、年間100頭以上の純血種の豚が登録されています(www. RedWattle.com)をご参照。ベランジャは「生産者は、製品を販売し、声を広め、品種を宣伝するのに役立つ強力な品種協会のサポートを本当に必要としているのです」と、協会の存在を強調しています。

 私の祖父母であるラリーとマドンナは、この品種を繁栄させ、その肉の市場を見つけて(しかも開拓して)いる農家の一人です。ただ、彼らはレッドワトルを飼い始める前に、何十年にもわたって商業用豚を飼育し、豚の飼育のコツを学んでいたのです。

 

商業用豚肉から伝統種へ

 ラリーとマドンナは、家族の農業を手伝って育ち、その伝統を守ってきました。「結婚して以来、65年近く農業を続けています」とラリー。マドンナも「私にとっては、そこが唯一の生きる場所なんです」と付け加えました。

 その後、家族が増えて子供が9人になるにつれ、ラリーとマドンナのパートタイムの穀物・牧畜業は、カンザス州グラスコの農場で300頭の母豚を分娩から成熟まで飼育するほどに成長したのです。当時、ラリーは家計を支えるためにトラックを運転し、自分で運んだ牛肉を荷下ろしして配達していました。やがて、その仕事が(文字通り)重荷になり、1979年に引退し、農業に専念することを決意しました。その努力が実り、同年、豚肉生産者の栄えある賞「Pork All-American」に選出されました。

 それでも、トラック輸送をやめて家族の収入が減ってしまったため、80年代にはラリーとマドンナは Pig Improvement Company(PIC)の施設で働くようになり、最初はサウスダコタ州で(1984年)、その後カンザス州に戻り(1988年)、そこでラリーが畜舎の運営管理をしました。。

 

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