自家採種で大切な文化をまもる

マザーアースニューズ 自然 自給 農

 伝統をうけつぐ作物を栽培して、伝統的な食習慣と調理法を守ろう。

文:エイミーローズ・フォル(Amyrose Foll)

翻訳:浅野 綾子

 

 種をまくことは、渇望する魂が祖先のもとへ帰り、地球と再びつながる聖なる手段です。一つひとつの種は、私たちの手の平にのせられた贈り物。この種の先祖を手にした、私たちよりも前に生きた何世代もの農民たちから贈られたものです。現代の種の守り人として、私たちは過去に生きた農民たちを手本にして、未来の世代に確実にこれらの種のことを知らせなければなりません。私たちの菜園は農民たちが私たちに残したもの、彼らが残した種の歌なのです。これらの種は私たち祖先の生態学的知識であり、その知識によれば、私たちには「この時を逃さずにつかむ」という任務が課されています。

 何年か続けて育てた植物の種を自家採種して自分自身の旅をはじめるなら、あなたは数千年つづいてきた儀式の一部になります。この儀式は、世界のありとあらゆる独特な料理伝統を生むこととなり、私たちに豊かなめぐみをもたらしました。植物の野生原種は後世まで命がつながれ、私たちが食べるさまざまな食べ物へと発展したのです。過去に目を向ける時、一族の農民を見つけ、種とのつながりを見つけるのに、何世代も遡らなければならない人は一人もいません。どのような生まれだろうと、職業だろうと関係ありません。種を採ることで、大地で汗を流した自分の先祖が残した「強さ」と「レジリエンス」という遺産を、あなたは生きているのです。一族でわかちあってきた伝統から生まれる「場所の感覚」を守っているのです。

 種をとるのに遅すぎることはありません。カボチャのような簡単なものからはじめれば、とても楽しく、満ち足りた気分になれます。種は素晴らしい贈り物にもなります。ひょっとしたら、仲間の菜園家の心に種採りの火を灯すこ とになるかもしれません。種を採る時、私たちは未来の世代のために過去を失われないようにするだけでなく、自分のポケットにお金をいれておくこともしているのです。種をとることは大してお金がかかりませんし、種の図書館や種子の交換会を見つけたら、自分の種を種子保存の共同システムに預けると同時に、他の品種を手に入れることもできます。

 

N’tongwezid Nebizokikonek(「ようこそ私たちの菜園へ」)

 私は先住民の種の守り人として、そしてアベナキ族の一員として、現代の世界と、古代に通じる世界との境目に身を置いています。古代に通じる世界、それは一族の古代の食習慣・料理の習わしを深く敬いながら守り、粘り強く保護する世界です。

 未来の世代のために消えかかっている文化(または品種)の灯を燃やし続けるのは、軽い気持ちではできない大変名誉あることです。古いやり方を今日に意味あるものと し続けることと、現代的なものの中で実際に日々の生活を送ることの間でバランスをとるのは、困難ともいえます。

 アベナキ族の儀式は、アベナキ族の農事歴と密接にかかわりあっています。一切の主な行事は、食べ物と一族のむすびつきを中心に展開します。北アメリカが最初に植民地化された時、私たち先住民は決して、いつも四苦八苦しながら荒野で生き物を略奪するという、粗野な野蛮人ではありませんでした。事実、私たちには洗練された農業の仕組みが整っており、この国に植民者、定住者、宗教難民として来た人たちの命を救ったのです。青々と茂る私たち先住民の食べられる森(food forest)はすでに入念に管理され、何世代もの大地を耕す母親たちが手を入れて、何百万人もの人々を養っていました。近くに住んでいたホデノショニ(Haudenosaunee)の兄弟についてもまた、隠し場所に何年も食べものや種を蓄え、食品保存と貯蔵の究極の達人とされた記録がしっかりと残されています。

 私たちは今の社会の中で、現代的な新しい基準で、先住民の菜園、農業、食の主権を再定義しなければなりません。

場合によっては、今の生活から姿を消している伝統的な習わしを調査し、再発見する必要があるかもしれません。というのも、それらは文化変容の方針と行動を通して、多くの祖先から強制的に取り上げられてしまったからです。 

 悲しいことに子供の頃、自分の文化の伝統に深くつながることができなかったという、多くのネイティブアメリカンと、私は出会ってきました。私が断言してはばからないのは、菜園や先住民の聖なる種は、大々的にではなくとも、そうした人たちを伝統文化にそれとなく呼び戻すものになり得るということです。私たちの菜園は、離れ離れになっている、ほんの少しでも先住民の血が流れる大切な仲間、私たちが一族と認める仲間が、一族の下に帰ってくる手段になり得ます。私たちの菜園は「場所の文化」に対する深い敬意を育てる、熟練の教師になり得ます。私にとって種を採ることは、単なる趣味ではありません。それは私が情熱を感じるもの、はじめてやってみようという人たちと分かち合いたいと願うものです。私は種採りを自分のライフワークのひとつと考えはじめています。。。 

 

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